農家民宿をはじめる過程で見えてきた、里山での「暮らし」という宝物。
真庭びと12 山下増男さん・山下節子さん
林道を抜けると、そこはやわらかな陽光を浴びた集落でした。
目的の「農家民宿ゆずき」は、そのなかのひとつ。軒先には、大豆が干してあり、農作業の道具がいくつも置かれていました。
暮らしを重ねてきた、という風な美しい古民家。
今回、はじめて農家民宿を訪れました。
農家民宿とは、農業を営んでいる農家さんが、その住居を旅行者に提供する宿泊施設です。グリーンツーリズムの一環として、開業の条件が緩和されています。
営まれているのは、山下増男(やました ますお)さん・山下節子(やました せつこ)さんご夫妻。
増男さんの実家を「農家民宿」へ。そのきっかけを尋ねていくと、ここで今も残る「豊かな里山の暮らし」が見えてきました。
ここなら簡単にできるかもと思いました(笑)
甲田:
農家民宿のきっかけを教えていただけますか?
山下増男:
農家民宿をするなんて、私は考えたこともありませんでした。
山下節子:
私の希望なんです(笑)。私、宮崎県小林市の生まれ育ちなんですけど、そこは農家民宿が盛んで。里帰りのついでに、一度夫婦で泊まりに行ったことがあるんです。
はじめてお会いする方だったんですけど、とても気さくで。もうずっと昔から知っていたみたいでした。晩ごはんも一緒に食べて、今でもお付き合いがあるぐらい。
甲田:
そんな場所が、ここでもできればいいなと。
山下節子:
自然がいっぱいで、田んぼも畑もあって。むかしながらの古民家で。ここなら簡単にできるかもと思いました(笑)。
山下増男:
私は、ここを「良い」と言う人がいるかなあ、という思いでした(笑)。
私が元気なうちに田んぼと畑が、草や山になってしまうのは寂しいですから
甲田:
増男さんはずっとこちらに?
山下増男:
いえ。高校を卒業して、県南に出ました。県南ではずっとサラリーマンをしていました。若いうちはそんなに帰っていなかったですけど、田んぼとか畑があったので、そのあとは頻繁に帰っていたと思います。年を重ねるごとに両親ができなくなっていきますから。
甲田:
阿口は、そういう方が多いですか?
山下増男:
ほとんど帰ってこないですね。ただ私のところは、両親が農家ひと筋の専業農家だったこともあって、規模が比較的大きいので。手伝わないと、なかなかまわらなくて。
甲田:
帰って手伝う中で、いつかは阿口に戻ろうという思いが。
山下増男:
たぶんあったと思います。私が元気なうちに田んぼと畑が、草や山になってしまうのは寂しいですから。まだ元気なあいだはしていたいなと。今は退職したので、こっちで過ごすことが多いです。
甲田:
奥さんもいつかは阿口へという考えが。
山下増男:
(節子さんが席を外されていたので)どうでしょうね。街なかのほうがやはり便利ですから。子どもや孫たちも街なかのほうに住んでいるので。
でもね、仕事を辞めたら街なかにいてもやることがないですよ。老後はとくに。
甲田:
退職後、人とのつながりがなくなってしまう。社会問題にもなっていますよね。
山下増男:
私たちはいろいろ不器用だから、やることがなくて、ひょっとしたら賭けごとにハマッてしまうかもしれない(笑)。
甲田:
(笑)でも、帰る場所があった。
山下増男:
そうですね。
ここの暮らしにお客さんをお迎えする
山下増男:
頻繁に帰っていたんですけど、ここで暮らしていた私の父親が亡くなって、母親も亡くなって。母親の三回忌を終えた後、農家民宿に向けて動きはじめました。
甲田:
農家民宿の許可を得るのは大変でしたか?
山下節子:
(席に戻って来られて)とにかく書類がたくさん必要でした。県庁に行って、保健所、消防署、それから県民局に行って。旅館法に基づいておく必要がありましたから。
広さによって条件が違っているんですけど、うちはたまたまちょうど良かったようです。それでも保健師さんが来られたり、県庁の方が来られたり。火災報知器はつけました。
あと、台所の水がどれぐらい流れて、お風呂が何リットル、トイレが何リットル流れるとか。畑とか田んぼも、ぜんぶの番地を書類に書かないといけなくて。
甲田:
……大変そうですね。
山下節子:
言われてもわからないですよね。だからもう「わかりません」て言ったら、県民局の人が教えてくれて。教えてもらいながら書類をつくりました。
そうしたら書類は2ヶ月ぐらいでできて、許可がおりるまでは4ヶ月ぐらいです。
甲田:
……それってたぶん、めちゃくちゃ早いですよね?
山下節子:
県庁の人もビックリしていました(笑)。書類が多いから、1年以上かかる人もいて、中には「もうムリかも」と途中で挫折してしまう方もいるみたいです。「わかりません」て言ってみるもんですね。
甲田:
ほんとにそう思います!
山下節子:
泊まられた際の料理も、ポイントでした。自分ひとりで料理をして提供するのは難しいんですけど、来られたお客さんと一緒に料理をするなら、と許可がおりました。一緒に野菜を切ったり、料理をしたり。それが農家民宿で緩和されているポイントのひとつだったようです。
甲田:
農家民宿の場合、緩和されているものがあるんですね。
でもそれを置いても、熱量がなくてはできないことですよね。
山下節子:
ここの暮らしにお客さんをお迎えする。やってみたいことでしたので。
食育ソムリエ(旬の食べものや栄養バランス、地域ならではの食べ方など、食に関する幅広い知識を有している)の資格を持っているので、それも生かせたらなと思っています。
両親がずっと専業農家でしたので、暮らしも自給自足でした
山下増男:
奥さんから言われなければしていなかったと思います。
甲田:
地元の方は、その良さになかなか気づかない。そういうことってありますよね。
山下増男:
農家民宿をしていると言っても私たちはありのままですので。お客さんが来るとか来ないとか、あまり気にしていません(笑)。自然体ですよね。片意地を張ってするようなことではないので、汚い作業着のままです。いろいろ考えていたら、疲れるだけですよ。
甲田:
ここは本当に、「ありのまま」という言葉がしっくりと来るところです。
山下増男:
両親がずっと専業農家でしたので、暮らしも自給自足でした。
昭和のころの生活そのままかもしれません。私たちの世代が生まれ育った、そのままの生活です。お風呂も五右衛門風呂ですし、くどがあってかまどもありますので。
山下節子:
芋からこんにゃくをつくってて。このまえ泊まった人とも、かまどで火を焚いてこんにゃくづくりをしたんよ。
山下増男:
かまどじゃないと、ガス代が馬鹿になりません(笑)。火を焚く木ならたくさんあって、たとえば原木しいたけで使った木を薪することもあります。
甲田:
そういう使い道があるんですね!
山下増男:
貧乏暮らしですので(笑)。しいたけも食べきれないぐらいつくっています。毎年、木を切って菌をうえて。その営みは、暮らしのなかで何の違和感もありません。
甲田:
子どもの頃から、ご両親がされるのを見てきたから。
山下増男:
見て、というより、手伝わされてきました。
ただ炭焼きだけは、もうちょっと詳しく親父に教えてもらっていたら良かったなと。わら編みはやってみたんですけど。
山下節子:
むかし使われていた、わらを編む機械があるんです。わらから縄を編むんです。
わらで編んだ縄は畑で使い終えても、そのまま腐って土に還っていく。ムダがないんですよね。
甲田:
僕にとっては、どれも真新しいです。
山下増男:
先日来られた方は、大根を抜いたことがないと仰ってて。私たちからすれば、何でもないことなんですけど、大根を抜いてもらったらとても感動してくださって。
山下節子:
ほかにも、春から言えば、ピーマンとかトマト、なすび、きゅうり、ごぼうとか。さつまいも、とうもろこし、黒大豆。にんじん、白菜もあるかな。季節ごとの野菜を収穫してもらったり、時期によっては田植えや稲刈りもできます。
甲田:
山下さんご夫妻がいつもされているところに、ちょっとお邪魔してみる、という感覚。パッケージとして準備されたものじゃないからこそ、暮らしぶりに触れる感動があるんですね。
山下増男:
また、ここは標高が500mぐらいなんです。
明かりもほとんどなくて、だから星がとてもきれいに見えるんです。夏場、外でビールを飲みながら、ずっと夜空を見上げているご夫婦もいらっしゃいました。
甲田:
(最高ではないですか!)
山下増男:
冬場、すくも(もみ殻:米の外側の皮)を焼いて、燻炭(くんたん)にするんです。それを撒くと土壌が良くなるんですね。その作業を夜にすることがあるんですけど、そのときも星がきれいで、「星がきれいですよ」ってお客さんを呼んで。
いざとなったら仕事を辞めて、田舎に帰ったらいい
甲田:
農家民宿を通じて、ここを出られた方に帰ってきてほしい、もしくは新しく移住者に来てもらえたら。そういうことについてはいかがですか?
山下増男:
どうでしょうね。帰ってきてほしいというのはね。私たちも出ていた側ですから、そんな軽々しくは言えないですよね。それぞれの事情、家族がありますから。
よく年寄りが言うんです。「むかしは年間100万円あれば生活できていた」って。子どもを養って、学校に行かせて。充分だったんですよね。そのうえ、当時は木材の価格も高かったですし、炭焼きの炭もいい値段だったというふうに聞いています。
ちょっとした仕事を組み合わせて、100万円でも生活できていた時代。いまでは考えられないですよね。そういうことを思います。
甲田:
暮らしと経済のバランスがミスマッチを起こしているというか。
山下増男:
いまは、サラリーマン時代の何倍も働いていますよ(笑)。自然は待ってくれませんから。草も生えれば、悪さをする動物も出ますし。でもまあ、作物を育てて、食べものとかつくって。元気なうちはこういう暮らしもいいんじゃないかなと。お金じゃないんですよね。
甲田:
(おもむろに、自家製こんにゃくをいただく)あ、ありがとうございます!
山下増男:
ずっと、田舎に助けられてきたと思っています。
田舎があったからサラリーマンも続けてこられました。いざとなったら仕事を辞めて、田舎に帰ったらいい。心の拠りどころというか、そういう安心感はもらっていたと思います。
会社もいろんな波にさらされますよね。不景気とか、人間関係とか。でもそんなときも、潰れたら潰れたでもいいかと(笑)。だから、父が亡くなったときに「仕事はもうこれぐらいでいいか」と辞められたんだと思います。
山下節子:
ここは毎日、いろんな変化があります。自然とともにだから、毎日することが違うんです。食べるもの、つくるものも季節によって違いますから。
山下増男:
では、ちょっと見に行ってみますか? いまの季節(11月)だったら、しいたけかな。
甲田:
いいんですか!
山下節子:
行きましょう。
甲田:
ありがとうございます!
しいたけの圃場へ向かう途中、「農家民宿と言っても、特別なことはできない」という言葉を聞き、本当に「本物」が体験できる場所だと強く思いました。
わいわい収穫させていただいたしいたけはどれも肉厚。
ふだんはビールばかり呑んでいる僕も、日本酒を出してきて、美味を堪能しました。田園風景を思い出しながら食べると、よりいっそう旨みが広がるようで。
畑を歩いた心地良い疲れが、さらに気持ちをほぐしてくれました。
「ああ、幸せ……」
気づけば、ひとり、そんな言葉がもれていました。
農家民宿ゆずき
岡山県真庭市阿口1523
090-4696-5689
Facebookページ 農家民宿ゆずき
聞き手:甲田智之
写真:石原佑美(@0guzon_y)