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「樋口さんがいるから安心」真庭の妊娠・出産・子育てに寄り添う助産院はどのようにして生まれたか。

真庭びと022 樋口美貴子さん

2024年10月16日 by 甲田智之

あるとき、何かで見た「真庭で助産院、開業」の記事。

「真庭で助産院を開業?」
恥ずかしながら、当時は助産院に馴染みがなく、「しかも真庭で?」と、ひとつの記事からたくさんの「?」マークが浮かんだ。――ただ、顔写真に見覚えが。

「あれ? この方ってうちのムスメを取り上げてくださった助産師さんじゃない?」
妊娠中・出産・産後とお世話になり、奥さん(こういう場では妻と呼ぶべきなのかな)がその方のファンになっていたので、よく覚えていた。

咲月(さつき)助産院の樋口美貴子さん。
記事を見つけてから、ずっと気になっていた。そして時が経ち、ようやく取材へ。お話をうかがうと、想像をはるかに超える「咲月助産院」立ち上げのきっかけと思いを聞くことができた。

真庭市で出産すること、産後を過ごすことについても。

取材をして改めて、樋口さんに取り上げてもらって良かったな、と思った。同時に僕は確信する。きっと誰もが、いつも自然体の樋口さんに会いたくなる。

面と向かって「あなたは助産師には向いてない」

甲田:
樋口さんは移住されてきたんですよね。

樋口:
そうです。岡山県総社市の出身で。大阪と岡山市で働いていたんですけど、旦那さんが真庭の方だったので、結婚してこっちに。

甲田:
助産師さんにはどのタイミングで?

樋口:
大阪のときです。大阪にある総合病院付属の助産師の専門学校に通ってて、卒業後そのままその総合病院に就職しました。

甲田:
大阪の総合病院って聞いただけで忙しそうです。

樋口:
ほとんど覚えてないぐらい忙しかったです(笑)。産科だけでも規模が大きくて、お産の数も多くて。私と同じ新卒の子が10人ぐらい一気に入るようなところでした。

甲田:
産科だけで新卒が10人! でもそうか、新卒でいきなり現場なんですね。大変でしたか?(大変でしたよね?)

樋口:
赤ちゃんやお母さんと接するのは楽しかったですけど、大変なのはどちらかと言うと人間関係のほうでした。女性の職場でしたから(笑)。一度、先輩から面と向かって「あなたは助産師に向いてない」って言われたことがあって。

甲田:
ええっ!!

樋口:
けっこうつらかったです。なんでそんなこと言われんといけんのって。向いてないっていうのは赤ちゃんやお母さんと関わるのがイヤになったとか、つらくなったとか、そういうときだと思うんです。
でも私は赤ちゃんと接するのも、お母さんと接するのも楽しかった。もっともっと関わりたいと思ってた。だから何を言われても「私は助産師に向いてないとは思いません」って思って。

甲田:
(そーだ、そーだ!)

樋口:
でも先輩の意図もわかるんです。新人のときに必要なのは、赤ちゃんとお母さん、ふたりを守らなければならない責任感を持つことですから。それを伝えようとしてくれたんだと思います。……にしても言い方がねえ(笑)。

甲田:
ねえ(笑)。助産師を目指されたきっかけは何だったんですか?

樋口:
はじめは看護師になりたかったんです。でも友だちに誘われたのもあって、もともと赤ちゃんも子どもも好きだったので。
だからもう「はじめてのおつかい」を観たときには……。最初は「できない」って言ってた子が、お母さんと離れて、自分で「行こう」って決意したときの表情とか、達成したときの表情とか。そんなのを観てたら、もう涙が堪えられなくなって。

甲田:
観ちゃいますよね。

樋口:
あと決定的だったのは実習です。実習生として出産・産後に関わらせてもらったんですけど、出産に立ち会ったときの「スゴい!」という気持ちはもちろん、産後お母さんと赤ちゃんの身体が1日1日どんどん変化していくのにも感動したんです。
最初はおっぱいが全然出なかったのに、やがて胸が張ってきて、出てくるようになるとか。赤ちゃんも日に日に上手におっぱいを吸って飲めるようになっていくという変化が感動的で。

甲田:
……ムスメが生まれたときのことがよみがえってきます。

真庭のお産は、ひとりひとりに費やせる時間がすごく多い

樋口:
その後、大阪から岡山の個人病院へ移って。岡山では人間関係も良くて(笑)、とても楽しかったです。

甲田:
(笑)大阪・岡山と真庭で、産科に関する違いは感じられましたか?

樋口:
大阪はやっぱり規模が大きいので、産科だけの病棟がありました。ホントにフロアには赤ちゃんとお母さんしかいなくて、婦人科で入院しているご年配の女性もいなかったです。岡山のときもそうでした。

甲田:
真庭はさすがにそういう規模の産婦人科はないですよね。

樋口:
そうですね。真庭の場合、産婦人科があるのが「落合病院」になります。

甲田:
うちのムスメ2人も、落合病院です(移住してから2人生まれました)。でもいわゆる地方で、産婦人科のある病院があるのも珍しいほうと言いますか……。

樋口:
そう思います。私も移住するとき、「真庭には産婦人科があるから、何とか助産師として働けるだろう」と思ったのを覚えています。

甲田:
ただ、大阪ほどの規模ではない。

樋口:
落合病院は混合病棟ですので。同じ病棟のなかに赤ちゃんやお母さんもいれば、ご年配の方もいます。つまり、私たち助産師も寝たきりの方のおむつ交換をすることがあります。
これまでそういうことがなかったので、正直なところはじめは戸惑いました。あと少数のスタッフで夜勤にあたるので、いろいろひとりでしないといけない、というのもあります。

甲田:
そのなかで、真庭の強みというのは?

樋口:
お産の件数が少ないので、ひとりひとりに費やせる時間がすごく多いことです。大阪のときはみんなバタバタ忙しそうにしていたので、お母さんも遠慮してなかなか言えないということが多かったように思います。
でも真庭では、呼ばれるのを待つだけじゃなくて、私たちからお母さんに声をかけに行ける。しかも悩みがあったら30分でも1時間でもひとりに時間をかけることができます。

甲田:
たしかにうちの奥さんも、退院するとき樋口さんはじめ、看護師さんや助産師さんとめちゃくちゃ仲良くなっていました(笑)。

お母さんに少し自信をつけてもらう。それも助産師の仕事

樋口:
(笑)助産師としてのやりがいはやっぱり、お母さんが笑顔になったときにあるので。
出産の前も後も、お母さんってどちらも不安なんです。その不安を私たち助産師の提案で取り除いて、笑顔が戻ってきたら何より嬉しくて。だからひとりひとりに時間をかけられたら、と思っています。

甲田:
「安心」してもらうことなんですね。

樋口:
そうですね。もうひとつ、安心で言えば「退院して家に帰ってからも自分(家族)でできる」というのもあります。お母さんに少し自信をつけてもらう。それも助産師の仕事です。

甲田:
樋口さんの自然体な雰囲気も、お母さんを安心させるひとつになっているように思います。あと赤ちゃんとの接し方も、樋口さんならではですよね。

樋口:
「樋口さんって、よく赤ちゃんに話しかけてますよね」って言われます。自分では気づいてなかったんですけど(笑)。心音チェックのときから、お母さんのお腹をマッサージしながら「おはよう」「こんばんは」って。

甲田:
あれって親として、とても嬉しいんですよね(笑)。

樋口:
赤ちゃんってお母さんのお腹にいるときから意思があるんです。自分にとってベストのタイミングで生まれてこようとする意思が。――そして生まれてくる。それってすごくリスペクトすることじゃないですか。
だから、1人の人間として関わりたいし、1人の人間として対話したい、と思っています。それが自然と話しかけることに繋がってたのかも(笑)。


「咲月」って自分の子どもにつけたかった名前なんです

甲田:
そのなかで、「咲月助産院」を立ち上げようと思ったきっかけは何だったんですか?

樋口:
助産院を立ち上げようと考えていたわけではなくて。
落合病院で働いているときに、双子を出産されたお母さんがいたんです。その方は頼れる人が旦那さんしかいない。その旦那さんも当時のことなので育休が取得できない。しかも初産で、双子。「ひとりで見ないといけないのかな」ととても心配されていて。

甲田:
はい。

樋口:
私もすごく気になってたんです。その後、退院されていったんですけど、退院されてからも「大丈夫かな?」って気になって。でも病院に所属しているので、スタッフが1人のお母さんに個人的に電話するのは、NGだったんですよね。

甲田:
……そうだと思います。

樋口:
産後1ヶ月までは、産婦人科の管轄なんです。だから「何かあったらいつでも来てね」って伝えてたんですけど、産後1ヶ月経ったら管轄が産婦人科ではなくなってしまう……。
じゃあ、あのお母さんは? 赤ちゃんは小児科で見てもらえますけど、ひとりで見ることに不安を感じていた、あのお母さんのフォローは? って。相談できる場所が必要なんじゃないか、と思ったんです。

甲田:
(……たしかに!)

樋口:
もちろんいろいろ相談窓口はあるんですけど、気軽に相談できて顔も見える助産師さんというのがあまりなくて。それで助産院を立ち上げようと思いました。

甲田:
そうだったんですね。

樋口:
あと、もうひとつ理由があって。私には子どもがいません。本当は子どもが欲しくて、いろいろ妊活もしたんですけど、うまくいかなくて。それでもう自分の子どものことは手放したというか……。
手放したら、本来自分が出産して、子育てに費やしてたであろう時間が空いちゃったんですよね。だから、その空いた時間をいま困っているお母さんたちに提供できたら、自分の生きてる意味があるんじゃないか。そう思ったんです。

甲田:
それで助産院を。

樋口:
お母さんたちの笑顔が増えたり、「子育てやってて良かったです」って前向きになってもらえたら、私自身も前向きになれるんです。

甲田:
ちなみに「咲月助産院」という名前は?

樋口:
「咲月」って自分の子どもにつけたかった名前なんです。たくさん笑顔の花を咲かせてほしい。そしてまわりの人たちにもたくさん笑顔の花を咲かせる子になってほしい。そういう思いを込めて、「咲月」って名前にしたかったんです。
助産院を立ち上げたときに、考えてみれば「ここもそういう場所になれば良いな」と思って。不安で来られるお母さんに、笑顔で帰ってもらったらとっても嬉しいんですよね。あと私の立ち上げた助産院だから、私の子どもと言っても良いかなって(笑)。

理由を聞かずに、赤ちゃんを預かることもしたいな

甲田:
助産院の立ち上げは難しくなかったですか?

樋口:
家族に伝えたら、「この家でしたらええ。部屋も空いとるんじゃし」と改装までしてくれて。立ち上げ自体は難しくなかったんですけど、なかなか私のふんぎりがつかなかったです。いろいろ考えてしまって。

甲田:
いろいろ、というのは?

樋口:
まだまだ勉強中の身なのに、助産院なんて開いて良いのだろうか。お母さんの迷惑にならないだろうか。そもそも需要なんてあるのだろうかとか。
――でもあるときから、「お母さんや赤ちゃんと接しながら、学ばせてもらおう。成長していこう」って思うようになりました。「自分に自信がついてからやろう」と思ってたらいつまで経ってもできない。それなら「えいや」って飛び込んでしまおう(笑)。

甲田:
そうして「咲月助産院」ができたんですね。実際、立ち上げられていかがですか?

相談メニューはコチラ

樋口:
ちょうど良いぐらいの相談件数があります。予約がいっぱいあるわけじゃないから、1人のお母さんに2時間でも3時間でも時間をかけられる。涙があふれるお母さんもいらっしゃって、抱えていることを受け止められる場所になれているのかなと思います。
あと、ここに来られた方とはLINEの交換をするんです。「何か困ったことがあったらLINEして」って。LINEなら気軽に相談できるじゃないですか。「赤ちゃんのお尻がこんな風になってるんですけど大丈夫ですか?」って写真を送ってもらったりして。

甲田:
……それってビジネス的に考えると?

樋口:
(笑)関係ないです。訊かれたら答えたくなっちゃうので。

甲田:
(笑)素直にスゴいです! では、これからの「咲月助産院」さんの展望などいかがでしょうか?

樋口:
理由を聞かずに、赤ちゃんを預かることもしたいな、と思ってます。なんとなく正当な理由がないと赤ちゃんを預けられない、という風潮になってると思うんですけど、理由なんて良いよって。
「美容院に行きたい」「友だちとお茶したい」「ちょっとひとりの時間がほしい」「少し寝たい」何でも良いんです。お母さんってホントにひとりの時間がなくて、息抜きもなかなかできなくて。そういう受け皿になれたら良いな、と考えています。

甲田:
それ良いですね!

樋口:
ハードルはあると思うんですけど、お母さんのお役に立てることがあれば、できるだけいろんなことをしていきたい、と思っています。

甲田:
咲月助産院さんがあると、安心です!

樋口:
真庭市には私のところと、もうひとつ助産院さんがあるので、2つあるというのも安心できるポイントだと思います。

甲田:
今日は本当にありがとうございました。

樋口:
こちらこそ、ありがとうございました。

その後も話は尽きませんでした。樋口さんと話していると、自分も自然体になっていくようで、ついついしゃべり過ぎてしまう……(笑)。

取材を終えて、ふと真庭市の出産に関する制度についてもお聞きしました。すると――、「真庭市は妊娠、産後を先進的にサポートしている地域だと思います」とのこと。

「とくに産後ケアについては、自治体の予算の関係でどうしてもサポートを受けられる人をフルイにかけているところがあります。でも、真庭市はそんなことはありません。ぜんぜん誰でもウェルカムです」

真庭に住んでいながら、知らない事実でした。

咲月助産院
岡山県真庭市見尾141
satsukijosanin@gmail.com
咲月助産院ホームページ

聞き手:甲田智之
写真:石原佑美(@0guzon_y

甲田智之

真庭市在住のもの書き。2児のパパ。Twitterアカウント→@kohda_products

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