農業で食べていく、というイメージをもっとリアルに。
大塚農園さんの話。
真庭びと07 大塚雅史さん
移住者が農業を始めて、食べていけるものでしょうか。
ずっと農業に興味があって。
移住相談会で、よく受ける相談のひとつです。
まっすぐな質問をするには、きっと勇気が必要だったと思います。しかも、相談会の会場までわざわざ足を運んで、尋ねていただいて、とても嬉しくなります。
どの自治体も、(自治体だからとかじゃなくて、人として)真摯に向き合おうと、新規就農研修を案内したり、補助金を紹介したり、数字・金額を示したり。
でも。
そのとなりで、僕は「大塚農園の大塚雅史(おおつか まさし)さん」を紹介したくて、うずうずしている。
大塚さんなら、移住のことから、農地取得のきっかけ、数字以上の農業のことまで、ありのままに教えてくれるのに。
実際に、農業に関する「制度」を活用した者として、等身大で話してくれるのに。
とにかく、まずは大塚さんの話を聞いてほしい。
――という思いが募って、相談者さんの先まわりをするみたいに、大塚さんにお話を伺ってきました。
移住して農業。ここには、その「ありのまま」があります。
自分のつくったものを食べてもろて、「おいしい」と言ってもらう嬉しさ。この単純さ・シンプルさがええな、と思って
甲田:
大塚さん、もともとのご出身は?
大塚:
奈良県の橿原(かしはら)市っていう、新興住宅地じゃけど、まわりにわりと畑があっていつも遊びよったんよ。大学でも滋賀県の草津っていう、わりかし田舎なところで。
ただ就職で、兵庫県尼崎の武庫之荘(むこのそう)って、はじめて「街」のほうに。
甲田:
田舎から街へ。「違い」ってなにか感じましたか?
大塚:
街って基本的に、アスファルトとコンクリートの上しか歩かんが?
無性に、土が恋しくなって。河川敷に行っては、裸足で歩きまわったり(笑)。
甲田:
(笑)本能が、土を求めていたんですね。
大塚:
それまでべつに「農作業がしたい」なんて思ったことなかったのに、無性にそういうことがしてみたくなって、3m×5mの市民農園を借りて、野菜をつくったり、住んでたワンルームマンションのベランダで野菜をつくってみたり。
「わしのつくったミニトマトって、なんでこんなにおいしいんじゃろう」思って。
チンゲン菜とかも、すごく愛らしくて。「もう根っこまで食べちゃろうか」という気持ちになって、「……なんじゃろう、この気持ちは」みたいな(笑)。
人にあげたら喜んでもらえて。
たまたま中国人の友だちに、つくったチンゲン菜を食べてもらう機会があって。「おいしい」って言うてくれたんじゃ。チンゲン菜と言えば、中華料理の食材やん!それを中国人に褒められるって、めちゃくちゃ嬉しいが。
甲田:
わかります!
大塚:
自分のつくったものを食べてもろて、「おいしい」と言ってもらう嬉しさ。
この単純さ・シンプルさがええな、と思って。これ、仕事にできたら、なんぼほどええじゃろうと思い出して。
甲田:
そのとき、大塚さんのお仕事は?
大塚:
都市計画のコンサル、みたいな。
ちょうど阪神淡路大震災があった直後で、街づくり・区画整理が見なおされていて、住民の計画をまとめて市に提案したり、振興計画にも携わらせてもって。
仕事のなかで、どうしたらそこに住んでいる人が幸せになれるか。そういうことを考えるが。それを自分に置きかえたときに、「自分じゃったら、どうしたら幸せになれるか」って考えて。そのときに、「僕はやっぱり田舎じゃな」と思った。
はっきりと「田舎に住みたい」と思って。農業の喜びみたいなのもあって、「よし、田舎で農業じゃ」という方向性になったかな。
甲田:
それから、真庭市へ?
大塚:
いや、コンサルの仕事は辞めたんじゃけど、福島県で農業をやっている大学時代の後輩のところに行かせてもらったり、大分県の国東半島に6ヶ月間、研修みたいなカタチで行かせてもらったり。
それでもなかなか、自分がどういう風に農業をやっていくか、ていうのは、なかなか見えてこんかった。
じゃけどそのあと、奈良県で農産物の流通をする団体に務めて。
わしがその団体を辞めるときになって、後がまで入ってきたのが、うちの嫁さんで。
甲田:
そうなんですか!
じゃあ、引き継ぎするなかで……。
大塚:
仲良くなったんじゃろうなあ。
当時、わしはまだ、奈良で農業をしようと思いよったんじゃけど、嫁さんは「もう絶対、岡山の実家に帰るんじゃ」という思いがあって。
甲田:
では、決め手は?
大塚:
JAのなかの部会のひとつ、「久世(くせ)有機の会」かな。
失礼な話じゃけど、当時は、岡山の県北って人が住んでるイメージがなくて(笑)。
小学生のとき、日本地図に色を塗るが?じゃけど、岡山って緑と茶色でひたすら塗っていって。ほんま、山っていうイメージが強すぎて。
甲田:
(笑)僕もやりました。覚えてます、緑と茶色の鉛筆の減り……。
大塚:
奈良じゃったら、人がいっぱいいて、農家とつながりのない消費者さんもいっぱいおるから、農業をして売り先に困らんと思いよった。
でも、岡山での農業って売り先があるんかな、と思うじゃろ?
そう思っていたところに、ナスとほうれん草をつくっている「久世有機の会」が、コープ神戸と産直してるって聞いて、それじゃったらできるかもしれんと思って、こっちへ来る決心をしたわけ。
甲田:
おいくつぐらいのときですか?
大塚:
30歳ぐらいかな。
コンサルの仕事を26歳で辞めて、そのあとは農業をするために、試行錯誤しながら郵便局で働いたり。あんまり向いてなかったけど。
今から思えば、人に雇われるのが向いてなかったかも。
農作業ができると農業ができる、というのは違う
甲田:
真庭に移住して、仕事として農業をはじめられたわけですね。
これまでと、何か変化はありましたか?
大塚:
農作業って、ひとつひとつの作業は意外と単純なんよ。
レベルの程度はあるけど、習得そのものはそれほど難しくない。それなりに鍬も使えるし、ある程度わかってる気持ちでもおったし。
でも、やっぱり自分で作業工程を組み立てて、農業を経営するっていうのはまた違う。農作業ができると農業ができる、というのは違うなあ、と今でも感じるなあ。
甲田:
やはり農業経営は大変ですか?
大塚:
大変というか。
今日はどうしよう、今週はどういう作業をしよう、と組み立てるのは、ほかの製造業とも違うところで、マニュアル通りにいかない。
天候にも左右されるし、臨機応変いうのが必要になってくる。草が生えるのもそう。草を抑える作業のタイミングが遅れると、10倍ぐらい手間がかかる。農業にはそういうのがけっこうあるけえ、判断を間違わないようにせにゃいけん。よく間違うけどね(笑)。
甲田:
(笑)それは、独学で?
大塚:
「久世有機の会」で、ナスとほうれん草をつくるところから入ったんじゃけど、先輩農家さんのとなりの畑を借りて、いろいろ教えてもらいながら見よう見まねで。
「大塚くん、あれせないけんで」と言うてもらうこともあるし、見て盗んだものもあるし、自分でやってみて失敗から学ぶ、ということもある。
甲田:
軌道にのるまでは?
大塚:
当時は、岡山県の「ニューファーマーズ確保対策事業」っていうのがあって、2年間で毎月15万、支給してもらえたんよ。
甲田:
今でいう「就農促進トータルサポート事業(農業実務研修事業)」(2020年1/1現在)ですね。研修の助成額は、毎月12万5千円以上になってると思います。
※就農促進トータルサポート事業(農業実務研修事業)
大塚:
うん、その研修期間の2年間は良かった。
じゃけど、その2年が過ぎてからが、本当のスタートみたいな。
ナスは獲れるのが、7・8・9月。ほうれん草は、12・1・2月。合わせると、6ヶ月。この6ヶ月で、1年分の収入を得るというのが大変で。
しかも、我流を入れたくなるというか、「現代農業」とか読んで妄想を膨らませたりするから、人に教えてもらった通りにせんで(笑)。ほうれん草は失敗しまくったんよ。
その結果、6ヶ月分の収入がなくて、ナスはそれなりに獲れたけど、ほうれん草は1ヶ月分ぐらいしかなくて。2年間の支給がなくなったら、お金がなくなったんよ。
甲田:
だ、大丈夫だったんですか?
大塚:
数年は何とかしのいだんじゃけど、新聞配達をはじめて。
高校生の頃にちょっとやってたんよ。じゃけえ「ちょっと朝早く起きたらできるなあ」ぐらいに思ってたんじゃけど、「朝の1時半からよろしく」って言われて(笑)。
甲田:
早っ!
大塚:
1時半に新聞が来て、折り込みをして2時過ぎには出発。田舎じゃけえ、5時過ぎには配り終えて、農業に出て。
甲田:
……す、すごいですね。(それ以外の言葉が見つからない。)
大塚:
そのとき思ったのは、人間って夜は寝んといけんようにできてるなって。
でも、新聞配達のおかげで、ある程度の収入が生まれたけえ、農業の忙しい時期には、人にお願いすることができるようになった。
個人事業主はみんなそうじゃろうけど、市役所に書類を出しに行ったり、業者さんとのやりとりがあったりするが?だから人に仕事をしてもらうようになって、新聞配達をやめて、いまの農業スタイルが確立されていったかな。
甲田:
農地はどのようにして?
大塚:
農地はぜんぶ借りたな。
ここは、もともと荒れ地になっとったんよ。
向こうの田んぼで作業している人に「この荒れ地って誰も使わないんですか?」って聞いたら「使おう思うなら聞いちゃるで」と言うてくれて。
甲田:
(……もともと荒れ地だったなんて信じられない)
ここが良かったのは?
大塚:
ハウスを建てるなら、借りてるところでは建てれんが?
でも、荒らしてあるところは基本的にどうしようもなくて困られとるけえ、ハウスを建てさせてもらえるんじゃないかと思って、目をつけたわけ。
甲田:
荒れ地から、ここまでの道のりはいかがでしたか?
大塚:
荒れ地をとにかく草刈り機で刈り倒して、工賃が浮くかなと思って、自分たちでハウスを1棟建てたんじゃけど、2、3年かかったな。
ナスとかほうれん草とかブドウをやりながらだから、なかなか建たなくて。
何とか建てられたんじゃけど、失敗したなあって。業者に建ててもらって農作物をつくったほうが、結果的に効率が良かったな、と。
大塚:
あと、草刈り。すごい草が生えるから。
草をそのままにしとったら、農業委員会に通報される事態になったりするから。
甲田:
そんなこと……。
大塚:
わしが実際、草をそのままにして通報されてるから(笑)。
甲田:
(笑)
大塚:
お金にはならんけど、とにかく草刈りをして。
「わしら、タダで電気使わせてもらってるようなもんじゃけえな」
甲田:
これまで育ててこられたのは、何種類ぐらいですか?
大塚:
ナス・ほうれん草・ピオーネ・ミックスリーフ……。
2019年からハウスでネギをはじめたり、夏場のほうれん草をつくってみたり。
春菊をつくろうと思ってたけど、途中で気が変わって「やっぱりブドウかな」とか。トウモロコシ、スナップエンドウ、いろいろつくってみて売りに出してみて、その中で反応の良かったのが、ミックスリーフだったんよ。
甲田:
いろいろ試されたんですね。
大塚:
そう。つくっているうちに、ふと偶然の産物みたいな作物もできたりして。生産できて売れたら、農業はやっていけるから。でもとにかくやってみないとわからん。
いろいろ試しながら、今の経営があるのかな、と。まだ試行錯誤じゃけど。
甲田:
出すのは、どういうところに?
大塚:
真庭市場(大阪府高槻市・滋賀県守山市にある真庭の産地直売のお店)・真庭あぐりガーデン(真庭の逸品が楽しめる複合施設)・天満屋(デパート)・天満屋系列のスーパーとか。
あと「落合野菜果物出荷組合」というのがあって、落合のハピーマート(スーパー)を拠点に、13人ぐらいの農家が農産物を持ち寄って、当番制で津山市(真庭市の隣の市)にトラックを出したり。
いずれにしても営業活動はしていなくて、人づてで紹介してもらうのが多いかなあ。
甲田:
JAさんはどういう位置づけでしょう?
大塚:
今もお世話になりよるんじゃけど、基本的には特定の品目、例えばナス・ピオーネ・白ネギ、北部じゃったらミニトマト・トマト・大根の生産者を集めて、市場に持っていく。
特定の品目ならJAを通せばいいし、自分で好きなものをつくってるなら、まあJAの直売所に出す場合もあるけど、基本的に自分が持ってる販路に流していく。
はじめはJAだけじゃったけど、今はそういう位置づけかな。
甲田:
けっこう自由なんですね。
大塚:
真庭のJAはそうじゃなあ。そこがわしにとっての魅力というか。
甲田:
農業の大変なところはどういうところでしょう?
大塚:
天候の加減かな。
天気ってすぐ影響が出るんよ。悪ければ、ぜんぜん育たない。でも、工場と違って、太陽の力を借りて、「わしら、タダで電気使わせてもらってるようなもんじゃけえな」とも思ってて。
あとは台風とか。
真庭の場合、四国から通ってくる一般的な台風は大したことないんじゃけど、そうじゃなくて東シナ海から日本海、島根鳥取沖を通って、勢力が衰えずに来る台風は怖い。
それがハウスを壊したりするが?
甲田:
もしハウスが倒れたら?
大塚:
一応、共済に入ってるから、いくらか保証される。
ただ、年数によっては掛け金が低い分、保証額も低かったりして、手出しが必要な場合もある。でも、とにかくお金よりも片付けのほうが大変なのかな、と思う。
普通の解体と違って、台風で壊されたハウスはいろんなところに負荷がかかっとるけえ、解体するとき危ないんよ。
あと、大変なんはやっぱり売れんときな。あれは悲しい。全国的にたくさん採れたら、市場に出まわり過ぎて安くなって売れなくなる。
それだけやなくて、前年に採れなかったのも影響したり。採れなかったら、輸入物が入ってくるじゃろ?そうしたら、翌年も入れないけんという契約があるらしい。
だから、天気のぐあいで採れんのも切ないけど、採れたのに売れんというのはもっと切ない。世の中から必要とされてないんじゃないか、と思って(笑)。
本物の恐怖と戦いながらっていうのが、外遊びの意義のひとつ
甲田:
真庭に来られて、生活の中で大切にしていることはありますか?
大塚:
子どもと遊ぶことかな。
わしの育った奈良に大和川というのがあって。当時はめっちゃ汚くて、たしか日本の川ワーストワンやったんよ。その支流の曽我川という川が実家の裏に流れてて。
とても入って泳ぐような川じゃなかったけど、それでも入って遊んでたからな。フナを捕まえたり。さすがに焼いて食べようとは思わんかったけど(笑)。
真庭は比べものにならんぐらい、水がきれい。遊ばんともったいなさ過ぎる。
外で遊ぶことで得られるものって、めっちゃあって。野生の勘というか。ここまでなら大丈夫とか、これ以上やったら死ぬなとか。痛みを感じないゲームじゃ得られんが?
本物の恐怖と戦いながらっていうのが、外遊びの意義のひとつなんじゃないかな。
甲田:
月並みだけど、「遊び」の中から大切なものを学んでいく。
大塚:
一緒に遊びながら交わす、友だちとのコミュニケーションもそう。
あと、バイクとかクルマをいじってた人って、農機具をいじれるんよ。わしは農機具が動かなくなったらすごい困るんじゃけど、昔バイクで遊んでたJA職員とかは簡単に直してしまう。
だから田舎で思いっきり遊んでほしいかな。
甲田:
地域の方とのお付き合いはいかがですか?
大塚:
けっこう仕事が忙しくて、6月から9月のあいだは、朝5時30分ぐらいに出て、夜帰るのが20時ぐらい。冬場は、家を出るのが7時ぐらい。
だから地域のお付き合いがほとんどなくて。消防とPTA活動ぐらいかな。受けている役もあって、消防の部長・PTA会長・保育園の保護者会の会長・中学校の学校評議員・久世公民館活動推進委員・青壮年部・有機農業普及協会岡山支部支部長とか……。(2019年11月現在)
甲田:
いや、多すぎるでしょ!(笑)。
大塚:
「来る者拒まず」で受けとったから、いろいろ重なって(笑)。
甲田:
会合とか会議はだいたい夜ですか?
大塚:
そうじゃな。研修会みたいなのは昼間あったりするけど、楽しいんよ。学校で学べなかったことが学べたり。研修会とか好きじゃけえ。
甲田:
最後になりますが、大塚さんから見て、真庭ってどんなところですか?
大塚:
住んでて最高だと思う。海がないのはあれじゃけど(笑)。
自然環境もええし、久世だとそれほど不便ないが?レンタルビデオ店がなくなったのはショックだったけど。
甲田:
たしかに!
大塚:
こうして農業もできるし、子育て環境もええ。
何より、人口は減ってるかもしれんけど、甲田さんとかはじめ、良い意味での変人が増えてるのはええことかなと思う(笑)。
甲田:
(笑)真庭は変人、おもしろい人が多いです。
大塚:
(笑)わし、変人かな?
甲田:
間違いなく、変人です(笑)。
今回は本当にいろんなお話を、ありがとうございました。
大塚:
こちらこそ、ありがとうございました。
取材後も、話が尽きませんでした。
途中からは逆取材といいますか、「で、甲田さんって……」と、まわりの人も巻き込んで、大塚さんに色んなことを取材していただきました(笑)。
宗教・小説・映画・地域おこし・教育・まにわ合戦(真庭発祥の雪合戦のようなニュースポーツ)・アメリカンフットボールなどなど。
興味の幅が広くて、どの話もどんどん広がっていくばかり。
そのどん欲な「好奇心」と「探求心」が、大塚さんの農業経営の「根幹」であるような気がしました。
聞き手:甲田智之
写真:石原佑美(@0guzon_y)