岡山県真庭市
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血が騒ぐから、真庭から出なかった。継業を前に、地元出身の若者が決めたこと。

真庭びと15 大江 魁利さん

2022年03月25日 by 甲田智之

「取材してほしいひとがいるんです」

そのひと言からはじまりました。

聞けば、その取材してほしいひとは、まだ若いらしい。
父の代からはじめた仕事、「新聞の配達」をしているらしい。

継業の準備をしているらしい。

そして、なにより――。
真庭以外で暮らすことが、考えられなかったらしい。

それだけで充分、お話が聞きたい、と思いました。

名前は、大江魁利(おおえ かいと)さん。

大江さんを真庭に繋ぎとめたものは何だったのか。
また、父親からの継業をまえに「新聞の販売所」という仕事に何を思うのか。

お話を聞かせていただきました。


金木犀の匂いがしたら、「祭りが来たな」と思う

甲田:
大江さんといえば、事務所に「大江呉服」の文字が見えます。

大江:
そうです。
もともとは呉服屋です。父方のおじいちゃんおばあちゃん、親父と母親で呉服屋をしていて、たしか僕が小学5年ぐらいのときに、親父が着物の商売に限界を感じて。

甲田:
呉服から新聞の販売所って業種がぜんぜん違いますよね。

大江:
親戚がたまたま山陽新聞に勤めていて、その縁から「久世エリアの販売所をしてみないか?」って話が来たって聞いています。親父も思い切ったと思います。

甲田:
小学5年生ぐらいだった大江さんの生活は変わりました?

大江:
あんまり変わらなかったですね。
呉服屋のときはマルイアルティ店にもお店があって、親父と母親、おばあちゃんもずっとそのお店にいて、僕はいつもおじいちゃんとか、母方のおじいちゃんおばあちゃんに見てもらっていたので。
親がいないと嫌っていうこともなくて、だからいざ呉服屋から新聞の販売所に変わっても、べつに違和感はなかったですね。ひとりでも変わらずという感じでした(笑)。


今も販売所事務所にある呉服店のなごり。

甲田:
子どもの頃はまだ合併前、「久世町」だったんですよね。

大江:
久世町でした。合併して真庭市になったのは、中2ぐらいだったと思います。
たまたま短期のショートステイでカナダに行ってて、帰ってきたらもう久世町から真庭市に変わってました。

甲田:
(笑)、久世町のときと真庭市になってからで違いを感じますか?

大江:
住所が変わったぐらいですかね(笑)。
でもやっぱり久世のことを語るなら、久世祭りは外せないです。僕の住んでいるところが久世の街なかなのでよけいに。すぐそこだったので。

甲田:
喧嘩場ですね。

大江:
記憶がまだないぐらい小さい頃から法被を着て、だんじりに乗っていたので、もう自分自身のなかに根づいてますよね。久世のイメージを聞かれたらもう絶対に久世祭りです。

※久世祭りは、真庭市の久世で10月24日から26日にかけて行われる、岡山三大だんじり祭りのひとつ。江戸中期の元禄時代に起源があるとされる。日中は巡行が行われ、夜には華々しく、激しい「だんじり喧嘩」がある。


JR姫新線「久世駅」前。久世の祭を伝える看板があります。

大江:
覚えてないんですけど、青年が準備しているところに親父も出ていたので、ついていったりとか。だんじりの鐘とか太鼓を叩くんですけど、小学校でも友だちと机を叩いて先生に怒られてましたね。
友だち同士でも、だんじり喧嘩って勝敗を決めないので「うちのほうが強いじゃろ」「いやうちのほうじゃ」と言ってヒートアップするみたいなのはありました(笑)。

甲田:
本当に小さい頃から、祭りが好きだったんですね。

大江:
好きというか、もう血です。祭りの血が流れてるんだと思います。だから金木犀の匂いがしはじめると、「ああ、来たな」と思う(笑)。


(写真提供:大江さん)

僕にとって都会は遊びに行くところで、住みたいと思うところじゃなかった

甲田:
中学は、久世中学校に?

大江:
そうです。ほんと遊んでばかりでしたけど。野球部で野球をやって、同じ部活の同級生とずっと遊んでみたいな。

甲田:
学校の雰囲気はどうでした?

大江:
よく言う「悪い」みたいなのはなかったですね。
僕らのときって、もうそういうのが流行らなかったというか。興味もなかったですし、やりたいことをやって遊ぶ、という感じでした。ゲームとか可愛い遊びですよ。

甲田:
野球部はけっこう強かったんですか?

大江:
僕らはちょうど同級生が9人で、県ベスト4だったかな。
強豪校に1回戦で勝って、同じ日に2回戦があったんですけど、もうみんな力を使い果たしててボロ負けした記憶もあります。

甲田:
ちなみにポジションは?

大江:
ピッチャーか、外野です。おもに外野ですけど(笑)。

甲田:
そうなんですね。(中学高校と、内野でしかも補欠だったため、何も言えませんでした笑)

甲田:
高校は?

大江:
地元の勝山高校です。
部活をするつもりはなくて、ただただ遊んでやろうと思ってたんですけど、中学のときの仲のいい1つ上の先輩が、勝山高校の軟式野球部で。まわりにもう「ピッチャーのできるやつが入ってくる」って言ってたそうです。
だから入ろうと思ってなかったんですけど、結果的に入部して。でもめちゃくちゃ楽しかったです。3年のときに肩を壊して、ろくにピッチャーできなかったのがあれですけど。

甲田:
高校のときに「真庭、出たいな」と思うことはありました?

大江:
僕はそれが本当に全然なかったです。
まわりはけっこう「大阪に出る」「東京に出る」って人がいたんですけど、僕にとっては大阪とか東京って遊びに行くところで、住みたいと思うところじゃなかったですね。
遊びに行くぐらいがちょうどいいです。もし出たとしても「祭りには帰ってきたい」と思っていたので、好きなタイミングに自分の足で帰れる場所じゃないと。

甲田:
友だちはけっこう大阪とか東京へ?

大江:
そうですね。
僕みたいに地元の祭りが好きとか、そういうのがない同級生たちはみんな出ちゃってると思います。

甲田:
祭りが大江さんを真庭に引き留めていたんですね。

大江:
まあもう、僕の根幹ですから。
根づいているというか、愛ですよね。完全に洗脳されている感じです(笑)。若い子たちのだんじり離れは心配ですけど。町外から参加してくれるひとが増えてると思います。

甲田:
助っ人的に?

大江:
そうです。地元に住んでいる僕からしたら、やっぱりありがたいですよね。いまのだんじりはそういう町外からの参加者さんにも支えられてると思います。

恩師の言葉。「自分で帰ってこられる範囲なら出てみればいい」

甲田:
家業を継ぐこと、仕事のこともお尋ねしたいです。
子どもの頃から家の仕事を手伝ったりは?

大江:
小学生のときに、父親が新聞の販売所をはじめて。そのときから中学3年までは自転車で配ってましたね。4時半から40分ぐらい。それでお小遣いをもらっていました。
生まれたときから、ほんと両親が近くで仕事をしているのが日常だったので、働くことに対して何か思うとかはなかったですね。

田:
高校を卒業して、そのまま家業を?

大江:
いや、岡山市の専門学校に行きました。
祭りのときに帰ってこられる距離感です(笑)。
高校生のときもべつに夢というか、したいことが見つからなくて。勝山高校の普通科に入ったのはいいけど、べつに大学に行きたいわけでもなかったので。まわりはみんな大学に行こうと思ってる友だちばかりでしたけど。
だから普通科に行って、ミスったなと思ったぐらいです(笑)。

甲田:
(笑)そうなんですか。

大江:
自分の将来どうしようかって考えたときに、「リハビリ」に行きつきました。
肩を壊してから、リハビリのために病院に通っていて。家業以外で接点のあった職業がそれぐらいだったんですよね。新聞業か、リハビリの理学療法士かの2択だったんです。

甲田:
それで、岡山市の医療系専門学校に。
その時点で、家業を継ぐというのは頭にありましたか?

大江:
いずれは継ごうと思っていました。
でも高校のときの担任が「一度、外に出てみるのもいいんじゃないか」と言ってくれたんです。真庭から出る気もなかったんですけど、「自分で帰ってこられる範囲の岡山市内ぐらいなら出てみればいい。絶対、得るものがあると思うよ」みたいに言ってくれて。
僕みたいなんでも、ちゃんと話を聞いてくれるいい先生だったので、「じゃあ、そうしてみようかな」って。

甲田:
ご両親の反応はいかがでしたか?

大江:
めちゃくちゃ反対してました(笑)。
とりあえず大学に行け、って言われてて。でも自分のなかで、「大学4年間もいくのってなんかなあ」とも思っていました。

甲田:
それはどういう……?

大江:
僕のなかで遊ぶのは、二十歳ぐらいまでかな、と思っていたんです。
とくに理由はないんですけど、ずるずる遊ぶのはちょっと違うかなって。

甲田:
それで専門学校のあと、家業へ?

大江:
ただ、けっこう悩みましたね。岡山でそのままなにかべつの仕事をするのも、ひとつだなと思うようになっていて。
それでも帰ったのは、父親はなにも言ってなかったんですけど、いつか家業を継ぐって思っているんなら、もういま帰ってしまおうって。二十歳にもなっていたので。

2回寝るので、1日を2回しているような感覚です

甲田:
真庭に戻って、「継ごう」と思って働きはじめてから、働き方というか、考え方みたいなものは変わりましたか?

大江:
手伝いのときは「ただ配るだけ」っていう感じだったんですけど、いざ自分で仕事をするってなったら、「自分の力で稼ぎたい」と思うようになりました。自営業だから上限がなくて、やればやるだけ自分に返ってくる面白さがありましたね。
あとは、やっぱり人としゃべるのが好きなので、新聞を取ってくれているおじいちゃんやおばあちゃんとしゃべるのがほんとに楽しいって気づいたことですかね。

甲田:
地方ならではかもしれません。
都会ではなかなか、新聞を取ってくれているおじいちゃんやおばあちゃんといろんな話をすることって、ほとんどないと思うので。

大江:
家にあげてくれて、お茶とか出してくれますからね。

甲田:
新聞取ってください、という飛びこみの営業もあるんですか?

大江:
あります。それもけっこう面白くて、僕は苦じゃないんですよね。
久世のエリアなので、久世ってけっこうクセの強いひと多いじゃないですか(笑)。それが面白いというか。おじいちゃんもおばあちゃんもよくしゃべってくれるので。

甲田:
家業を継ぐうえで準備されていることはありますか?

大江:
数字の引き継ぎははじめています。
いままでの帳面とかパソコンのデータはすごく見てますね。数字っておもしろいし、リアルだと思うんです。
あと、準備とはちょっと違うかもしれないんですけど、これからのことは考えます。

甲田:
これからのことというのは?

大江:
紙媒体の限界ですね。地方の高齢化問題です。若い人は新聞を読まなくて、新聞を読むご年配の人たちは入院だったり、亡くなったりが増えているので。
自分たちの日常に合う形で、どう新聞を組み込んでいくのか。時代に合った形はどんなものなのか、そういう話は父親としたりしています。父親とはめちゃくちゃ話してますね。

甲田:
紙媒体の限界……。

大江:
それはほんとに感じます。
紙媒体の限界って、つまりうちの限界でもあると思うので。
だから、いまから「紙媒体の限界」が来たときの準備もはじめています。そういうのって、考えておかないと、急に時代が変わったときに対応できないですから。
自分が家族を養っていくことを考えたら、売上が減っていくものにしがみつづけるのはちょっと苦しいと思っています。だからなるべく時流を読んで。

甲田:
僕もデジタル版を読むことのほうが多いかも。

大江:
あ、でもよく誤解されるんですけど、僕たち販売所の収入って新聞代がメインじゃないんですよ。僕たちはあくまで本社から新聞を買っているというイメージなんです。

甲田:
あれ? じゃあ、どこでお金を?

大江:
メインは広告ですね、折込み広告です。だからコロナのときは、休業するお店があって広告が出なくなったので、うちも影響を受けましたね。

甲田:
そうだったんですね!
販売所の仕組み、知らなかったです。ちなみに、めちゃくちゃ朝が早いイメージなんですが、1日のスケジュールってどんなふうなんですか?

大江:
(笑)なかなか普通の人とは時間帯が合わないですよね。

・夜中12時に起床。午前1時から早朝6時まで新聞配達などの仕事。
・早朝6時に帰宅して、お風呂に入ってビールを飲んで、就寝。
・午前10時に起きて、事務仕事などをして、午後10時にふたたび就寝。
・2時間ぐらい仮眠をして、また夜中12時に起床。

甲田:
……すごいですね。

大江:
こっちに戻ってから1年、2年ぐらいは仮眠せず、友だちと遊んでいたので、めちゃくちゃ眠かったですね。身体もまだその生活に慣れていなかったんだと思います。
いまは、もう僕の身体が12時間周期になっているというか、2回寝るので、1日を2回しているような感覚です。

甲田:
奥さんやご家族は同じ生活リズムなんですか?

大江:
僕ひとりが12時間周期なんですけど、結局夕方とか夜の10時までは家族との時間が合うので、けっこうしっかりと子どもたちとも遊べています。
結婚する前は「こういう生活リズムだから絶対に結婚できないだろうな」と思っていたんですけど、まあ良かったです。奥さんにも感謝ですね。

久世の血というか。鐘が鳴ったら、騒ぐ血を持っている

甲田:
お子さんは3人でしたか?

大江:
そうです。もともとめちゃくちゃ子どもが好きで。
それもあってか、自分の子どもが生まれて、考え方とかガラリと変わりましたね。
視野が広くなったというか。たとえば将来、僕の子どもたちがここで暮らそうと思えるか、とか考えるんですけど、けっこう不安なんですよ。


久世にあるだんじり車庫の前で。

甲田:
出ていったまま、帰ってこないかもしれない?

大江:
そうです。だからいまの子どもたちが一度出たとしても、また真庭に帰ってきてくれるような。そういう可能性のあることは、自分の子どものためにもしようかな、って。
それからですね。真庭商工会の青年部とか団体を通じて、地域であったり、ほかの企業さんと関わることが増えたのは。

甲田:
真庭商工会の青年部といえば、「キッズマニワーク」もありますよね。
真庭にあるいろんな仕事を、地元の子どもたちに体感してもらう職業体験イベント。僕のムスメも林業の体験をさせてもらいました。

大江:
子どもが生まれて、子どもと関われば関わるほど、「祭り、一緒にしたいな」って。
真庭を出て、子どもたちは帰って来ないかもしれない。でも帰ってくる可能性だってゼロじゃない。可能性があるうちは、できることをやるべきなんじゃないか、と思うようになりました。

甲田:
やっぱり、それは帰って来ない同級生を見ているから?

大江:
それはあると思います。
でも、友だちとか同級生もやっぱり祭りだけは帰ってくる子がいるんですよ。
女の子のほうが、それが強いような気はしますけど。熱を持っていて。久世の血というか。鐘が鳴ったら、騒ぐ血を持っているというか。

甲田:
UターンやJターンの施策を打つのもひとつだけど、「祭り」ももしかしたら、そういう役割を担っているのかもしれないですね。


(写真提供:大江さん)

大江:
どうなんでしょうね。
でもたとえば、外に出ている同級生の女の子でも、出産のために真庭に里帰りする子とかいるんですよ。そのときにそのまま、「ここに住みたい」と思ってもらえることって重要だと思うんです。
出産で里帰りしているときに、どれだけ「自然いっぱいの真庭で子育てしたい」と思ってもらえるか、ですよね。真庭は自然がゆたかで、いっぱい遊べると思うので。

甲田:
ありがとうございます。
そろそろ最後の質問になります。
真庭の魅力といえば、やっぱり自然ですか?

大江:
そうですね。それもですけど、やっぱり祭りですかね。祭りです。

甲田:
ありがとうございます。地元出身のひとをUターンに駆り立てるものは、ほんとに「祭りの血」のような気がしてきました。

大江:
(笑)

甲田:
今日はありがとうございました。

大江:
こちらこそ、ありがとうございました。

 


大江さんを真庭に繋ぎとめるもの。
それは、「祭り」でした。

祭りは、ほんとに書くのが難しいものです。
一介のライターが書くには、あまりに多くのひとたちの人生に関わり過ぎていて、いろんな感情があって、その実像を描き切れません。

しかしUターン者を増やすために用意された、行政の施策や補助ではなく、「血」と呼ぶべき「祭り」によって、真庭に帰ってくるひとが少なからずいます。

もしかしたら、僕たちは見落としていたのかもしれません。

そうだ。真庭には「祭り」があるじゃないか。

大江さんがそれを教えてくれました。

 

聞き手:甲田智之
写真:石原佑美(@0guzon_y

 


甲田智之

真庭市在住のもの書き。2児のパパ。Twitterアカウント→@kohda_products

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