「わたしは、ここしか知らない」
70年間、「足温泉」とともに歩いてきた道。
真庭びと017 山崎 江さん
「湯原の〈足温泉館〉がリニューアルオープンしたらしいよ」
「源泉かけ流しになったらしい」
「足温泉の湯はいい、お肌つるつるになるって、みんな言うよね」
リニューアルオープンしたからなのか、よく足(たる)温泉の話を聞くようになりました。なかには「仕事帰りに、足温泉館に行ってるよ」という人たちも。
真庭市には、温泉が楽しめる「湯原温泉郷」があります。
じつはその範囲はとても広く、露天風呂番付「西の横綱」の「砂湯」を中心とした湯原温泉をはじめ、下湯原温泉、真賀温泉、郷緑温泉など、それぞれが特徴のある温泉。
そして、足温泉もそのひとつです。
湯原の温泉街から車で約10分。
旅館がいくつか建つ「都喜足(つぎたる)」集落に、浴場「足温泉館」はあります。
地元の人たち、友だちがすすめていて、もちろん僕も行ったことがあります。
でも、なぜだかあまりネットには情報が出ていない。
そこで取材を申し込んだところ、足温泉館の近くにある旅館「いづみ家」の女将、山崎江(やまさき いりえ)さんとつながることができました。
どういう人たちが、「足温泉館」を支えているのか。
どんな背景を持って、足温泉館の番台に座っているのか。
お話を聞かせていただきました。
リニューアルした足温泉館の前で
ここの湯が身体に良いから、樽につめて。だから「樽温泉」
甲田:
ちょうど先ほど、「足温泉館」でお風呂に入ってきたところなんです。
山崎:
ここは、平安時代ぐらいからずっとお湯だけは湧いてたみたいです。
むかしは旭川(あさひがわ)沿いの河川敷から湯が湧いてて、そこに「ほったて小屋」を建てて。このあたりは田んぼや畑ばかりじゃったから、近くの農家さんたちが農作業終わりにその温泉に入りに来てたみたい。
甲田:
自然の温泉だったんですね。
それにしても「足(たる)温泉」っていう名前がかわってますよね。
山崎:
もともとは「樽」じゃったみたいです。
ここのお湯が身体に良いから、みなさん湯をとりに来て。それを樽につめて、大八車であっちこっちに配っていたっていう言い伝えが残っているんです。
甲田:
お湯を樽につめて。だから、「樽温泉」。
山崎:
ちなみに、このあたりの大字(おおあざ)が「都喜足(つぎたる)」いうんです。樽につめたお湯を持っていくと、都の人たちが喜んだから、という意味じゃないですかね。いつから「樽」が「足」になったかはわからないんですけど。
いずみ家さんに残る古い記録や新聞記事などを紐解いていただきました
甲田:
山陰で有名な戦国武将、「山中鹿之助」の妹婿(いもうとむこ)なのかな。当時、高田城の城主だった佐伯辰重が戦いで傷ついた兵たちを、ここの湯で癒したとか。皮膚、刀傷に効くということで。
山崎:
いまはそれが足温泉の定説になっています。
甲田:
ずっと湯治湯だったんですか?
山崎:
どうでしょう。ただ、旅館業法という法律がまだなかった頃から、いろんなところから「温泉に入りたいから泊めてほしい」ということで。みなさん、野菜とかお米を持ってきてね。
子どもの頃、覚えているのは河川敷に下りたところに、屋根のある建物とちょっと隠せる脱衣場があって。浴槽がひとつの混浴で、入浴料なし。そのお風呂に入っていました。
甲田:
地元の方と、湯治客が一緒になっていたんですね。
昔の足温泉周辺の写真が食堂に掛けられていました
山崎:
地元でいうと、このあたりは昭和になってから家ができたと聞いています。
それまでは少し北側の集落で、みなさん生活していて。うちもそうですけど、そこから分家でこちらに出てきた人が多いと思います。
ただ、そうして集落ができたみたいですけど、昭和9年の水害で被害にあってね。
甲田:
室戸台風ですよね。このあたりも被害があったんですね。
山崎:
それまでは道の両側に家が建ってたんですけど、川側のほうが流れてしまって。7戸あったうち、5戸が流れたみたいです。そのときに家並みも変わったんだと思います。
365日行くんだからね。私たちのお風呂です。
甲田:
あれ。すみません。江(いりえ)さんって、何年生まれでしょうか?
山崎:
昭和26年、1951年生まれです。
甲田:
(ぜんぜん見えない!)「いづみ家」さんをはじめられたのは?
山崎:
詳しくはわからないんですけど、両親がはじめました。
甲田:
ちなみに、「足温泉館」ができたのは?
山崎:
昭和48年の1973年ですね。
当時はここよりちょっと南側にありました。2階建てで1階に男女の浴室と家族風呂がひとつ。2階が食事もできる休憩室で、ガラス張り。テラスにも出られるようになっていました。
ちなみに、いまよりも湯治目的で来られる人が多くて。むかしは「1回」「半日」「1日」で受け付けていました。
甲田:
それはどういう?
山崎:
湯治が主でしたから、「1日」の場合、お弁当を持ってきたり、2階の休憩所で定食とかうどんを注文したり。朝、お風呂に入って、2階でお昼を食べて、それからまたお風呂に入る。1日のうちに何回もお風呂に入って、皮膚病や火傷とか、そういう湯治をしていましたね。
甲田:
地元の方は?
山崎:
夜です。湯桶を持って、お風呂に入りに来られていました。
甲田:
江さんも?
山崎:
もちろん。
私の家でいえば、ちょうど去年(2021年)にシャワーとユニットバスをつけました。それまでは生まれてからずっと、家にお風呂はなかったです(笑)。
甲田:
えっ、生まれてからずっと!
山崎:
去年つけたのも、主人がちょっと病気をしたから、温泉館までは行けないかなと思って。でも結局、元気になったから、変わらず温泉館に通っています。家のユニットバスに入ったのは、たぶん3週間もなかったんじゃないかな(笑)。
甲田:
短いっ!(笑)。
山崎:
このあたりはみんなそうです。湯番(ゆばん)の日も、そうでない日も。365日行くんだからね。私たちのお風呂です。
甲田:
湯番というのは?
山崎:
足温泉館の窓口を担当する番です。代々、足温泉にある旅館が番をしていて、いまは「仲乃家」さん、「足美荘」さん、それから私たち「いづみ家」の3つでまわしています。
むかしの足温泉館では、休憩所で出す定食とかうどんとか、そういうのは湯番の人が番台で注文をとって、自分たちの旅館でつくって歩いて運んでいました。1日、100円か150円ぐらいいただいていたかな。
ほかに働いたことがなくて。わたしはここしか知らないんよ。
甲田:
江さんはもとから旅館を継ごうと?
山崎:
ぜんぜん継ぐなんて思ってなかった(笑)。
わたし、三姉妹の一番下なんですよ。でも上の姉から出ていって。高校2年のときに姉が「結婚するんだけどいいかしら?」って聞かれて、「いいじゃない。好きな人と一緒になるんなら」と答えたのが終わり。
甲田:
そう答えることで、旅館を継ぐことになるなんて、と(笑)。
山崎:
そう。だからほかに働いたことがなくて。わたしはここしか知らないんよ。
甲田:
50年以上……。
山崎:
高校を卒業前に、進路をどうするかという話になったんじゃけど、父親から「(隣市の)津山までなら(お金を)出してやる」って言われて。でも「津山なら、いいわ」って断りました。
甲田:
それは、またどうして?
山崎:
なんとなく(笑)。だから高校を卒業してからずっとここで。
甲田:
ほんとはもっとどこかに行きたかった、みたいな思いは?
山崎:
なんにも思わなかったですね。当時の時代のことですから、流れというか、しょうがないからずっとここにいるんじゃないですかね(笑)。
甲田:
では、接客とか旅館のことは?
山崎:
接客もなにも。生まれたときから、これしか見てないから。わたしたちは教えてもらったとかないですよ。むかしの人は見て覚えて、見て盗め、という時代じゃないですか。
だからじつは、わたし高校出るまで、ネギのひとつも切れなかったです(笑)。
甲田:
そうなんですか! いまは料理もぜんぶされているから、イメージとぜんぜん。
山崎:
わたしが働きはじめたときは、住み込みの方が3人ぐらいおったんです。50代とか60代とか、歳の大きい人ばっかり。その方たちを見て。わたし、雑巾がけも知らなかったからね。
甲田:
そこからのスタートで、50年間……。やめたいと思ったことは?
山崎:
思ったことがない。思ったのかな、どうなのかな。でも食べる手段がなくなるから。結婚したときも、子どもが生まれてからも、ずっとここにいるからね。
そうそう、出産のときも生まれるその日までここで仕事をして。
甲田:
出産当日!(笑)。
山崎:
一番上の子を生んだときも、なんか忙しいときで。生まれる日も仕事をしていて、陣痛が来たから足温泉に入って、シャンプーして、産婦人科に。
甲田:
陣痛が来たから、足温泉!
山崎:
父親に送ってもらって、産婦人科で出産して。それから6日目ぐらいに帰ってきて、またここで仕事をして(笑)。
甲田:
(笑ってるけど、たぶん壮絶だったんだろな)大きなお腹でお仕事されていたわけですもんね?
山崎:
そりゃ毎日ふつうどおりに。みんなそうよ、むかしは。
田舎なんて、特にそうじゃない。子どもが生まれたら、農作業の日には子どもをカゴに入れて。あぜに置いてたら、ひっくりかえって田んぼのなかに落ちたとか。
わたしなんか、旅館の仕事があるから子どもを柱にくくりつけてね。お人形さんみたいに座布団にくくったり。いまから言ったら、虐待だよね。
甲田:
むかしの話、むかしの話……。
しかも江さん。ずっと着物だったんですよね。
山崎:
18歳のときから、ずっと着物着てたからね。
夜は着物で、母親の介護がはじまるまでは365日、ずっと着物。夏は浴衣で。でも不自由はしなかったけどね。
最後の旅行「足温泉に行きたい」
甲田:
ちなみに印象に残っているお客さんとかいらっしゃいますか?
山崎:
ずっと湯治のお客さんが多かったけどね。1ヶ月とか長期で泊まりながら、足温泉に何度も入って。ほかは、高速道路の建設とかダム工事、トンネル工事で。工事の人たちが宿舎がわりに、長期で泊まりに来てましたね。
甲田:
このあたりは中国自動車道、米子自動車道、岡山自動車道。高速道路がたくさん走ってますもんね。
山崎:
印象に残っているといえば、みんなね、年月が経ってからポッと来てくれる。
ずっとまえにお母さんとおばあちゃんと、生後3ヶ月ぐらいの赤ちゃんと来てくれて。3ヶ月ぐらい滞在してくれたんかな。お母さんがごはんを食べるときには、わたしがかわりに抱っこしてあげたり。その子がね、ここにずっと来てくれるんです。
ちょうど先日、その子が「おばあちゃん、結婚するんだよ」って相手の子を連れてきてくれて。家族と一緒に、というか、そういうのが楽しみなんです。
甲田:
その人の人生とともにある温泉なんですね。
山崎:
米子自動車道の工事に携わってた男の子が、「今度、独立したんだよ」って言うためにわざわざここまで来てくれるとかね。
甲田:
いいですね。
山崎:
米子自動車道の水質検査に来てた男の子もいたんよ。当時はまだ学生のバイトで、でも後に大学の助教授にまでなって。
その子がすい臓がんになって。「あと半年の命……」というときに、仲間たちが「最後に旅行しよう!」って言ったら、その子「足温泉に行きたい」って。でここに来てくれました。
甲田:
……。
山崎:
そういう人たちがいるからね。
甲田:
だから、やめようと思ったことはないんですね。
山崎:
どうかな。
でも、ずっとリピーターで来られていた方も歳をとられて来られなくなったり。平成20年ぐらいからかな。お客さんが少なくなってきて。
高速道路の工事のおかげで泊まりに来てくれたけど、いまではその高速道路があるから宿泊をせずに日帰りで帰られていく。あわせて旅行のスタイルも変わってきたから。
甲田:
旅行のスタイルですか?
山崎:
そう。むかしは温泉があったから村ができて、人が集まって。百姓をしながら旅館をして、それで暮らしている人ばかりだった。その後、景気が良くなって観光バスがどんどん来て。
でも、いまは団体旅行じゃなくなって、家族旅行になって、その予算も少しずつ小さくなって。「じゃあ、どこ行こう」ってなったときに、うちみたいな小さなところはどうしてもね。
新聞記事に「ギャル」の文字。時代に思いを馳せます。
足温泉を良くすることが、結果的に自分たちも良くなるから。
甲田:
時代の流れはあるにしても、足温泉は旅館さんみなさんが連携をとりあっている印象がものすごくあります。とくに江さんのお父さんがご尽力されたと聞きました。
山崎:
うちの父が、むかしから「五人組」と言っていたんです。「講(こう)」みたいなものと言うか、相互共助の組織という考えがあって。なにをするにもひとりでしないこと。
なにをするにも、足温泉にある旅館、仲乃家、足美荘、いづみ家、金生(現在、閉店)の4軒で協力してやっていこうという話をしていました。
甲田:
ふつうはライバル関係ですよね?
山崎:
でも、わたしたちはみんな、自然の「足温泉」を使わせてもらっているので。
「足温泉」に来られているお客さんはどこに泊まられても、あくまで「足温泉」に来られているんですよね。だから湯番もそうですし、広告も旅館が個別で打つんじゃなくて、みんなで足温泉として打ち出すようにしています。
甲田:
足温泉で、すべての旅館さんがつながっている……。
山崎:
足温泉を良くすることが、結果的に自分たちも良くなるから。
「もっとこうしたらいいんじゃないかな」と思ったら、気軽にほかの旅館さんに電話をして、「いま、暇だったら足温泉館で話でもしない?」って言って(笑)。
甲田:
みなさん、仲良いですよね。
山崎:
それに、ここにおられる旅館さんはみんな辛抱が多い。
言われたら言われたことを必ずこなしていく。気がついたところも、手をまわす。でもほんわかと。みんな、自分の家のように責任を持ってるから。
甲田:
そして昨年(2021年)、「足温泉館」も新しくリニューアルされて。
家族湯もあって気軽に立ち寄れる足温泉館
山崎:
源泉かけ流しの温泉になりました。
変わらず、皮膚によくて。切り傷にも火傷にもいいと。ここの人、みんな肌きれいだからね。亡くなった母も、それはそれはほんとにきれいな肌で。
甲田:
温泉効果ですね! ちゃんとむかしからの湯治としての面を守ってる。
山崎:
同時に、地元の温泉でもあります。まちの銭湯みたいなもの。常連さんが自分のカゴを持ってくるから(笑)。
以前、朝7時から開いてたときには、オープン前から農作業を終えた人たちの乗る軽トラが7台ぐらい列をつくっていて。中には寝起き同然で来て、温泉入って、出るときにはカッター着て、ネクタイ締めて(笑)。また仕事帰りに寄ったりとか。
甲田:
(笑)
山崎:
わざわざ姫路から来てくれる人もいて。「ここに来るのは、高速代が一番高い」って言いながらね(笑)。
甲田:
愛されてる足温泉。
「足」つながりで元女子マラソン選手有森裕子さんの足型も
山崎:
ほんと、みんなの辛抱のおかげです。
だってもうほかにやる人がいないですよ(笑)。川向こうで、道幅も狭い。そのうえ、一番奥にあって。それでも「やめればええが」にはならない。
甲田:
それは……。
山崎:
まあ、なんとかなるだろうというふうに思って生きてきたから。
わたしってつねにうれしい人だから。つねに楽しい人だから。元気だけがとりえ(笑)。
甲田:
(笑)
甲田:
でも、頭ではわかっていましたが、改めて「足温泉を支えている人がいる」ということをものすごく実感しました。
山崎:
そう言われたら、がんばらないけんな。
もうそろそろ限界かなと思ってたから(笑)。
甲田:
いやいやいや!
山崎:
もうちょっとがんばっていこかな。
足温泉館の番台で江さんを見かけたらぜひ声を掛けてみてください
甲田:
ぜひともよろしくお願いします。
本日はありがとうございました。また温泉にお邪魔します(笑)。
山崎:
いつでもどうぞ。
まるでいいお湯に入ったような取材の時間でした。
じんわりと心と身体に効いてくるような。
帰りぎわ、もう一度「足温泉館」の泉質や効能を確認しました。
泉質は、アルカリ性単純温泉。
効能は、皮膚病をはじめ、切り傷ややけどなど。
そのほか、神経痛、筋肉痛、関節痛、運動麻痺、五十肩、慢性消化器病、疲労回復。源泉かけ流しの温泉となったいま、より一層、効能を感じる方が増えている、とのこと。
江さんのお話を聞いてから、効能を見ると、さっき入った温泉の効果がさらに倍増するようでした。とてもいいお湯でした。
聞き手:甲田智之
写真:石原佑美(@0guzon_y)