岡山県真庭市
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一頭入魂。真庭で牛に魅せられた青年が、和牛繁殖農家になるまで。

真庭びと021 稲岡宏紀さん

2023年11月18日 by 甲田智之

はじめて稲岡宏紀(いなおか ひろき)さんと会ったとき、着ていたTシャツが忘れられない。

黒地に、白い筆文字で「一頭入魂、稲岡牛」。

もうその時点で、心を奪われた。
話を聞いてみると、「牛に関する仕事」をされているという。

真庭で「牛に関する仕事」といえば、思いつくのは「酪農(とくにジャージー牛)」。
ただ、稲岡さんがしているのは「和牛」。

しかも、牛を飼っている家に生まれて、高校は畜産のあるところに進学。
高校卒業後は、真庭市蒜山にある酪農大学校へ。
そしてそのまま、牛の世界に進んでいく。

牛に魅せられ、牛を愛して、牛に携わる青年に取材をすると――。
真庭が「牛」にとって、どんな場所なのかが見えてきました。


生まれたときから、牛がおったですからね

甲田:
畜産のジャンルで言うと、稲岡さんは?

稲岡:
和牛繫殖農家になります。
繁殖用のお母さん牛を育てて、子牛を産ませて。その子牛を育てて出荷してます。出荷先はだいたい「肥育農家」さんですね。そこで20ヶ月ぐらい、もっと大きく育ててからお肉になります。

甲田:
真庭なら、乳牛の「酪農家」さんが多い印象ですけど。

稲岡:
ジャージー牛とかね。蒜山がありますから。
でも、うちはもうずっと和牛一本ですね。僕が生まれたときにはもう、もともと牛がおったですから。父親がおもに始めて、大工と農業もしながら。

甲田:
では、稲岡さんで2代目?

稲岡:
そうですね。でもこれだけ規模を大きくしたのは、僕が酪大(中国四国酪農大学校。のちほど詳しく)から帰ってきてからです。卒業と同時に牛舎を建てて、牛を増やしていこうと思ったんで。

甲田:
牛に関わる仕事をしたいと思ったのは?

稲岡:
生まれたときから、牛がおったですからね。
ものごころついたときには「牛がやりたい」って。子どもの頃からここ(母屋のとなりの牛舎あたり)で遊んだりしてましたから。ミルクあげたり、乾草を食べさせたり。

甲田:
子どもながらに牛への母性みたいなものが……。

稲岡:
あったと思います(笑)。
小学生のときの夢にはっきりと、獣医になるか、それか「うちの牛の規模を拡大したい」と掲げてましたね。同級生もみんな、僕が牛好きなのを知っていましたから。

甲田:
もうそんなときから(笑)。

稲岡:
牛のお産をはじめて見たのも、めちゃくちゃ小さいときだったと思います。当時は、羊水のことを「風船」って呼んでたんです。ほんとに、風船みたいに膨らんだ羊水がお母さん牛から出てて。

甲田:
産まれた瞬間から、出荷までのすべての時間を一緒に過ごしていたんですね。

稲岡:
ここで育てるのが、8ヶ月ですから。そのあいだ、ずっと一緒ですね。
保育園のときは「競り」にもついていっていました。だから売られていく子牛を見て、泣きじゃくることもあったみたいで……。愛着が湧いていましたから。

甲田:
保育園で「競り」! ……そして酪大へ?

稲岡:
そうです。中学は地元の勝山中学で、ちなみに高校は久世高校(現在の岡山県立真庭高校)生物生産科で、畜産を専攻していました。

甲田:
(……スゴい。ほんとに牛ひと筋だ)

稲岡:
中学では牛の血統とか、かけ合わせを独学で覚えて。高校のときには実習がありました。ただまあ、「うちでやってることと変わらんな」ぐらいで(笑)。

あと、高校では父親に「競りがあるけぇ、いこうか」と誘われて、「競り」に行ってましたね。高校は義務教育じゃなかったので、休ませてもらって。市場のまんなかで牛を引っ張ってみたり。売れたら、購買者用のマスで購買者に牛を引き渡したり。

牛に関わるのって、国家試験が多いんです

稲岡:
酪大には、資格取得のために進学しました。

※中国四国酪農大学校。通称、酪大。真庭市蒜山にある全寮制かつ2年制の専修学校。実践による技術と経営感覚を身につけ、酪農の担い手を養成している。第1付属牧場ではホルスタイン種と肉用牛(計100頭以上)を飼育。第2付属牧場ではジャージー種(100頭以上)を飼育している。ちなみにジャージー種のみの実習牧場は全国的にも珍しい。

リンク:中国四国酪農大学校 ホームページ

甲田:
資格が取得できるんですね。

稲岡:
牛に関わるのって、国家試験が多いんです。
人工授精をするための免許(家畜人工授精師免許)とか、人工移植するための免許(家畜体内受精卵移植師免許)とか。だから1年生のときは座学が多かったです。

※その他にも中国四国酪農大学校では、大型特殊(農耕車限定)のトラクター免許・大型特殊(農耕車限定)のけん引免許・ホイールローダーやフォークリフト講習・牛削蹄師免許・家畜商免許・危険物取扱主任者免許などが取得できる。

甲田:
全寮制と聞いたんですけど。

稲岡:
そうです。朝から搾乳とかエサをあげるのがあったので。第1牧場が5時半からで、第2牧場が4時半からだったかな。それからごはんを食べて、学校に行ってました。

夕方にも搾乳とかエサをあげて。当番制だったので、当番じゃない人は17時ぐらいに終わって、あとは自由でした。地元蒜山の人はアルバイトにも行ってたと思います。

甲田:
あと、酪大といえばホルスタインのイメージがあります。

稲岡:
やっぱりホルスタインが多いですよ。それから僕らの代でいえば、女性のほうが多かったです。

甲田:
そうなんですか! 意外でした。

稲岡:
牛さんが可愛いっていうことかな。ホルスタインって模様がいろいろあったりするんで。名前も外国産らしくて、横文字風のカタカナだったりするんですよね。セイエラソロモンアウロラとか、カヤベゼニスコルトンアルトリアとか。

甲田:
(……覚えられない笑)ちなみに、和牛の名前は?

稲岡:
稲真太郎(いなしんたろう)とかですかね。

甲田:
(耳になじむなあ笑)
酪大さんに女性が多いの、意外な印象を受けました。

稲岡:
女性って腕が細いから、助産が上手っていうのもあります。難産だったときに子宮口に腕を入れるんですけど、腕が細いほうが牛にとっては痛くないんですよね。

甲田:
……稲岡さんは。

稲岡:
この腕ですから(苦笑)。

甲田:
……太いですね(苦笑)。

「いますね」って言われたら、その晩は大酒を飲みます

甲田:
そして酪大を卒業されて、和牛繫殖農家さんに。
和牛繫殖農家さんでは、やっぱり「繁殖」がいちばん大きな柱なんですか?

稲岡:
そうですね。いかに子を産んでもらうか、なので。

甲田:
それはどうやって?

稲岡:
ちょっと専門的になるんですけど、出産してもらうのには2つあって。雄牛の精子を購入して、うちで飼っている雌牛にぷちゅっと注入するのが1つ(人工授精)。

もう1つは、うちの雌牛の受精卵を回収して凍結して。それを酪農家さんが飼ってる雌牛のお腹を借りて、――借り腹っていうんですけど、そこに移植するんです(受精卵の移植)。あとは雄牛の精子を注入して。

甲田:
借り腹……、はじめて聞く言葉です。

稲岡:
うちだったら、蒜山や落合の酪農家さんに借り腹をお願いすることが多いです。乳牛のお腹を借りて、出産したら買い戻すカタチですね。それでうちは頭数が増えたので。

ちなみに借り腹代(借り腹にはお金がかかる)がかからないように、あえて年配の雌牛に受精卵を移植する農家さんもいるみたいです。

甲田:
ちょ、ちょっと待ってください。稲岡さんが飼ってる雌牛さんから受精卵を回収するのはわかったんですけど、雄牛の精子はどこから?

稲岡:
一般社団法人家畜改良事業団が運営している「岡山種雄牛センター」です。津山市内にあって、ここからだと車で30分を少し超えるぐらいですかね。

※一般社団法人家畜改良事業団とは、「優良種畜の効率的な作出利用による家畜の改良の促進を図るとともに、併せて家畜の個体識別の推進を図り、もって畜産の振興に寄与する(HPより抜粋)」組織。

甲田:
そこで雄牛の精子が買える?

稲岡:
そうです。ものによるんですけど、1万3千円(値段はほんとにまちまち)ぐらいですかね。種がつかなかったら、当然その1万3千円はポンと消えてなくなるんですけど。

甲田:
そうなんですね。

稲岡:
雌牛は発情が来るので。明らかにイライラしたり、ほかの牛にドンと乗りかかったり。
そうしたら、排卵する前後ぐらいに、凍結から融解した精子(それがおおよそ1万3千円のもの)を注入するんです。

そして、3週間経っても発情が来なかったら、獣医さんを呼んでエコーで診てもらって。「いますね」と言われたら、もう嬉しくて、その晩は大酒を飲みます(笑)。

甲田:
(笑)。

稲岡:
妊娠期間は、だいたい287日とか。それぐらいですね。
僕らは種付けした日から、月を3ヶ月引いて、日にちをプラス10します。それがだいたい287日になるので。

※例えば、種付け日が12月20日だったら、月を3ヶ月引いて、9月。日にちを20日からプラス10して、30日。つまり翌年の9月30日が出産予定日となる。

甲田:
出産が近づいたら、様子って変わります?

稲岡:
そうですね。牛舎をぐるぐる歩きまわって、落ち着きを失ってるなと思ったら、陣痛が来ていたりします。まあでも牛のタイミングがあるので、こっちが焦っても仕方なくて。

ぐるぐる歩きまわって、やがて雌牛は疲れて座ります。座ったら、尻尾がグワッと持ち上がるんです。それが出産の合図で、子牛の頭がぎゅうと出てくるんです。

甲田:
いよいよですね!

稲岡:
僕ひとりで引っ張って助産をすることもありますが、父親を呼んできて一緒に引っ張ったり。逆子だったら「やばい、やばい」なんて言いながら。

牛って、だいたい破水が2回あるんです。最初に羊水の膜(風船と呼んでいたもの)が出てきて、そしてやっと子牛が生まれてきます。

真庭って、牛をするのに恵まれてるんですよね

稲岡:
とにかく真庭って、牛をするのに恵まれてるんですよね。畜産系の高校があって、酪農大学校もあって。近くの蒜山には、借り腹をさせてくれる酪農家もいる。岡山県を代表する家畜市場もあって、車で30分ぐらいのところに岡山種雄牛センターまである。

甲田:
真庭がそれほど和牛繫殖農家さんにとって楽園だったなんて知らなかったです!

稲岡:
それでもやっぱり厳しいのは厳しいです。

甲田:
厳しいというのは?

稲岡:
売上ですね。新型コロナウイルスの影響で、外出制限がかかって。だから飲食店さんもお店が開けられなくなって、肉が売れなくなったんです。

肉が売れなくなったら、僕たちも肥育農家さんも牛が出荷できない、という状況に追い込まれて。牛乳も一緒ですよね? 休校による学校給食のキャンセルとか飲食店さんに卸すはずだった乳製品とか……。

甲田:
牛乳が廃棄されている、というニュースを観ました。

稲岡:
だからこれまで酪農家だったんですけど、コロナがきっかけで和牛もはじめる方が増えてきていると思います。……ただ、えさ代もめちゃくちゃ上がっていて。

甲田:
それでも続けていられるのは、牛が好きだから?

稲岡:
もちろん、それはあります。
それもありますけど、やっぱり競りのときに「稲岡さんだから」と応援の意味も込めて、競り落としてくれる方々がいるのも大きいです。

甲田:
そういう落とし方もあるんですね。(でもそれはきっと、稲岡さんが牛に対してめちゃくちゃ純粋な気持ちで接しているからだと思うな)

本日は、ありがとうございました。

稲岡:
こちらこそ、ありがとうございました!


取材の後、「どんな気持ちでお肉を食べるんですか?」と尋ねてみた。

すると、「ありがたいっていう気持ちを持ちながら、でも結局はおいしくてバクバク食べちゃうんですよね」という答えが返ってきた。肥育農家さんに渡されるため、残念ながら「稲岡さんが育てた和牛はコレです!」とハッキリ販売しているところはない。

でも、稲岡さんのように子どもの頃から牛に魅せられ、高校、大学と「畜産」の道を歩み、そういう想いのある方が、大切に和牛を育てている……。

和牛の旨みがさらに引き立つようなお話でした。

なにより、「そうか。真庭って、牛をするのに恵まれている場所なのか」と衝撃の事実を知ることができました。もっとこの事実を知ってもらえたらいいな。

聞き手:甲田智之
写真:石原佑美(@0guzon_y

甲田智之

真庭市在住のもの書き。2児のパパ。Twitterアカウント→@kohda_products

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