移住(ひっこしも)って、おもしろいな、と思います。
「人生って、なんだかおもしろいな」と、とてもよく似た意味合いで。

まったく想像もしていなかったような「人生」になっていく。それも、多くの場合、「劇的に」変わっていく。移住には、ときどきそういうことがあります。

 

たとえば。――当初は。
起業がしたかったわけじゃない。
地域活動の中心に立ちたかったわけでもない。

でも、地域の人たちと出会ったり、文化とか自然にふれていくなかで、思いがけず「起業をすることになった人」、「地域活動の中心に立つことになった人」が少なからずいます。
スイッチが入って、「よし、ここでやってやるぞ!」って。

あなたも、そのひとりになるかもしれません。

 

そんなことを思うとき、ふと会いたくなる「真庭びと」がいます。

Uターンで、東京から真庭市へ。
現在は、「ヒトトゴハン株式会社」代表取締役社長。
また、廃校となっていた旧上田小学校を、地域の人たちと大規模リノベーション、新しい拠点「UEDA VILLAGE」へと生まれ変わらせた立役者「一般社団法人地域支援機構サトビト」の代表理事。

岡山県北、随一の出張料理人、沼本吉生(ぬもとひさなり)さんです。

 

かならずしも、起業がしたかったわけじゃない。
地域活動の中心に立ちたかったわけでもない。

 

そんな沼本さんが、いかにして地域のなかで、起業・一社設立へと至ったのか。
グラウンドオープンを経た、複合施設「UEDA VILLAGE」内にあるステキなカフェ「森ノナカノカフェ」で聞かせていただきました。

一般社団法人地域支援機構サトビト Facebookページ
UEDA VILLAGE ホームページ


【せめて、親の迷惑にはならないぐらいの、最低限の仕事ができるぐらいにはなろう】

甲田:
なんだか、こうして改めての取材ってはじめてですね。

沼本:
なんでも、掘り出してください(笑)。

甲田:
(笑)、よろしくお願いします。

沼本さんは、「ヒトトゴハン株式会社」の社長として、出張料理人・料理教室の講師・フードコンサルタント・カメラマンなどなど。
いろんな顔をもっているんですけど、いちばんはじめのきっかけは、何だったんですか?

沼本:
はじめは、カメラマンからです。

30歳てまえで、東京から真庭へ戻ってきたんですけど、そのときは心身ともにボロボロ、いわゆる「そううつ病」で。もう寝たきりに近い状態だったんです。
だから、こっちに戻ってきたのは、「逃げ帰ったパターン」です(笑)。

甲田:
(い、いきなりのパンチ力!!)

沼本:
まるまる1年は、ほんとリハビリ状態でした。
もう、ずっと寝ててもよくならない。しばらく経って、なんとか親父の仕事を数時間だけ手伝って、という生活を送っていました。いや、もう完全に、ゼロからマイナスになってるので。将来みえないですよね。ほんと、将来がみえなかったです。

せめて、親の迷惑にはならないぐらいの、最低限の仕事ができるぐらいにはなろう、っていう目標はあったんですけど、もう受けるバイト、受けるバイト、落ちていくし(笑)。

甲田:
あははは。(……って。笑ってもいいものかしら?)

沼本:
そのときですね。とりあえず、家で寝てるばかりでもよくならないな、と思って。日光を浴びたほうがいいらしくて、光合成じゃないですけど。散歩しながら、セロトニンをちょっとずつ得るために、写真を撮りはじめました。

取材の日もカメラを持って一緒に写真を撮りに出かけてみました

甲田:
写真はもともと?

沼本:
いえ。見るのは好きだったんですけど、ぜんぜん。
もうほんと、散歩に行く理由ですよ。いちおう、ノルマで1日100枚以上撮るみたいなのは決めてたんですけど。その写真をSNSにあげてましたね。
そういう生活を、1年ぐらいつづけました。すると、SNSを通じて、たまたま東京の人と仲良くなって。その人って、芸能事務所で働いていた方なんですけど、いろんな作家さんに紹介してくださったみたいで。
そのうちのある作家さんが、私の写真を気に入ってくださって。「展示とか、販売したらどうですか?」と言ってくださったんです。
そこから、「じゃあ、ためしにギャラリー営業でもしてみようか」と。

甲田:
すぐに、ギャラリーは見つかったんですか?

沼本:
無理でしたね(笑)。
真庭では無理だったんですけど、となりの津山市でたまたま、すごくいい方と出会うことができて、個展もさせてもらって。

そうしたら、そこでいろんな人とつながって。「写真を商売にして、多少は食べていけるかな」みたいな。半日、カット数無制限で、1万円というカタチでスタートして。
異業種交流会とかにも出て、ちょっとずつ営業をしていきました。

 

【気がついたら、ものスゴイ額の借金をしていました】

沼本:
出張料理人をはじめたのも、ちょうどその頃からです。
たまたま、岡山県北の美咲町にある「アーツ&クラフツビレッジ」を訪れたときに、オーナーさんと話していくなかで、「料理を少しやっていました」と言ったら、「じゃあ、ちょっと出張料理をうちで試してみない?」って言ってもらって。
それが、第1回目です。
全身全霊でがんばっていったら、すごく喜んでくださって。じゃあ、これで少しはやっていけるかな、みたいな。

甲田:
料理は、東京にいた頃に?

沼本:
そうです。
それが、「そううつ病」で真庭へ帰ってくるきっかけにもなったんですけど。

子どもの頃の夢が「料理人」だったというわけではなくて、20歳のときに、ホテルオークラで食べたディナーがあまりにも衝撃的で、感動して。これまで考えたこともなかった「食」に興味がわいて、「いつか料理の仕事にたずさわれたら」と思いました。

ただ、不安もあって、なんとなく怖さもあって。いきなり現場に入るのではなく、まずは、ホテルやレストランのサービス職を受けはじめて、その関連でブライダル業界に入りました。
新卒として入ったその会社では、現場職ではなく、総合職採用だったのですが……。
働きながら、「もっと食のことが知りたい」と、いろんなところを食べ歩きました。気がついたら、立呑店から、3つ星のレストランまで評判の店は食べ歩き、気づいたらものスゴイ額の借金をしていましたが、とにかく食べ歩きました(笑)。

甲田:
……も、ものスゴイ額。(おそろしい!)

沼本:
そうして、ナンダカンダとやっと料理の現場に入ったのが、28歳のときです。
でも、調理の専門学校も出ていない、20代後半なんて相手にもされないんです。
なんの現場経験もないのに、「働かせてください」と言ってくる。向こうからすれば「どうしておまえに給料を払って、教えなければいけないのか」とバッサリ言われました。

それでもあきらめられなくて、「アルバイトでもいいから働かせてください」と言いまくって、ひたすら50軒ぐらいまわりました。
そのうちのひとつ、たまたま霞ヶ関にあるレストランが新店オープンで。やっとアルバイトで入ることができました。

甲田:
よかったです。ほっとしました(笑)。

昔を思い出しつつ、ちょっと遠い目の沼本さん

沼本:
でも、そこからでした。
1日18時間労働で。帰ってからも、とにかく勉強と修行をかさねて。休みの日も、もっと「食」のことが知りたくて、カフェやバーとかを3軒ぐらいかけ持ちしていました。
新卒で入って総合職だった前の仕事で、すでに身体と心を壊していたんですが、そんな忙しい生活が「トドメ」となって、ますます体調を崩して、完全に「そううつ病」になってしまいました。

甲田:
そして、真庭へ?

沼本:
そうです。寝たきりに近い状態になって。
だから、「ここで料理を学びました」というはっきりしたものはなくて。いまの料理方法は、いろんなところで盗んだものを我流でアレンジしたものばかりです。

甲田:
ものスゴイ額のお金をかけて。
身も心も、全力でささげて。

沼本:
はい(笑)。もうできないですけど。

 

【固定費が低いって、地方で起業するメリットのひとつですよね。】

甲田:
なんだかいま、沼本さんが出張料理人として活躍している「重み」みたいなものを、すごく感じています。人生のすごみ、というか。

この岡山県北で、出張料理人って競合がいないぶん、「そもそも、出張料理人ってなに?」っていうふうになると思うんですが、仕事の依頼はどのようにして?

沼本:
当時は、Facebookの黎明期で。それをつかって、けっこう異業種交流会が活発でした。
そのときに、いろんな人とつながって、その時点でもう、出張料理の依頼も入ってきて。
初年度は、撮影業務と半分はんぶんぐらいの売上だったんですけど、2年目にはもう、8割ぐらいが料理になって。

営業らしい営業は、あんまりしていないかもですね。交流会でちょっとずつ、PRしたぐらいで、あとはもう、クチコミクチコミで広がっていったような感じで。

甲田:
そこには、なにか沼本さんなりの秘策が?

沼本:
秘策というか、その当時はですね。正直なところ、まだ料理の技術がそこまでで。
そのかわり、原価率を上げる。「値段はそこまで高くないのに、しっかりといい材料をつかって、差別化をはかる」というカタチでした。あと、来る話はぜんぶ受けてました。
もちろん、競合がいなかった、というのもあると思います。

そうして、出張料理をはじめて、料理教室も並行しながら、3年目に「ヒトトゴハン株式会社」を設立しました。

ヒトトゴハン株式会社

 

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甲田:
あれよあれよ、という間、というか。すごいスピード感ですね。

沼本:
そのかわり、スピード感の弊害があって。
法人維持費とか、税理士報酬とか、そういう法人化にかかることをほとんど知らなくて。しかも、創業補助金とかも知らなかったので。まったくなにも使ってないんですよ。

起業そのものは大変じゃなかったんですけど、起業してからの人を雇ったり、お金のやりくりとか。そういうほうが大変で。
ランニングコストは、そんなにかからなかったんですけど。

甲田:
そう!「ランニングコスト」というワードで、思い出しました。
沼本さんって出張料理人なんですが、クルマの免許をもっていらっしゃらないんですよね。そのあたりも、尖っているというか、沼本さんの魅力ですよね。

沼本:
(笑)、そうです。出張料理というスタイルも、クルマの免許を持っていない私が、フライパンと包丁だけをもってできる「料理の仕事」というところから来ていたりもします。
あつかましい話ですが、実家に暮らしていて、家賃もかからないので、ほんとに固定費が低くて。やったらやったぶんだけ、自分に入ってくる、というカタチでした。

甲田:
固定費が低いって、地方で起業するメリットのひとつですよね。
正直なところ、光熱費と燃料費は、都市部以上だったりするんですけど、家賃さえ抑えられたら、ほんとに固定費はグンと下がると思います。

ちなみに、失敗も聞きたいのですが。

沼本:
けっこうありましたよ。
1回1回、もう真剣勝負で、ものすごい集中力でやるんです。だから、キャパオーバーを受けたときは、対応ができなかったりして。

あとは、キャッシュ(現金=利益)を残すスキーム(計画)づくりですね。
地方でのモデルがほとんどないので、お金を残す仕組みそのものがなくて、自分で考えんといけんかったんです。
たとえば、5人×3000円の依頼を受けたとして、当初は、ほぼ2日まるまるつぶれてしまうことが、はじめは頭になかったんです。見えない経費ですよね。
1日の利益を、1万円に設定するとしたら、1回のケータリングで「売上、諸々の経費や自分の時間給を差し引いて3万円以下の仕事は受けちゃいけない」ということになるわけです。
自分の時間給をちゃんと設定する。そういうところが、当初は抜けていました。そのきっかけを教えてくれた方との出会いも、とても貴重でした。

甲田:
このあたりの感覚は、やっぱりやりながらじゃないと、というのがあるかもですね。
ぼくの場合は、とてもわかりやすくて。
ライターって、取材をして、文章を書いていく。仕入れもなにもないので、もうほんと単純に、時間給に置きかえやすいんですよね。

 

【自分が責任をとるから、どんどんやろうよ】

甲田:
地域活動をはじめたきっかけはいかがでしょう?

沼本:
ヒトトゴハンでのケータリングが、そもそも地域密着型に近くて。自分がちょっとずつ元気になってきたときに、「いつか恩返しができたらな」ぐらいには思っていました。

ただ、ほんとにぼんやりで。
いまみたいに、なにか明確な地域課題とかっていうのは、考えてなかったですね。見えていないことも多かったので。ケータリング先で、いろんな話を聞かせてもらうぐらいで。

甲田:
でも、そこってポイントですよね。地域のお話を直接、聞かせてもらうって。
しかも、いろんなところで聞かせてもらうことで、それぞれの特色というか、地域課題の傾向とかが見えてきたり。

沼本:
逆に、どこも同じような課題を持っているんだな、と思いました。根本的なところはすべて、人口流出・少子高齢化につながっているのかな、みたいな。
また、田舎って相談できる人がいないから、私がケータリングとかでうかがうと、相談を受けるんですよ。当時は、経産省とか、農林水産系のコンサル(専門家)もはじめていたので。

甲田:
コンサルですか。

沼本:
もとは、フードコンサルからなんですけど。ケータリング先で、「うちのメニューも監修してもらえないか」って言われまして。
そうしているうちに、いち料理人ではなく、徐々に「コトをつくれる人間」というふうにまわりが見てくれるようになってから、相談がくるようになりまして。
すると、商工会の本部から「専門家登録」への依頼がきて、6次産業化プランナーもはじめまして、ご当地メニュー・特産品の開発やら、店舗に至っては、最終的にここも含めると、6店舗をプロデュースしました。

甲田:
フードコンサルと、店舗のプロデュース! 根っこではつながっているとは思うんですけど、なんとなくジャンルがちがうような気が……。

沼本:
はじめは、私のほうでガッとやるんですけど、途中からできる人に振るんです。
最低限の導線をこちらでつくって、あとは「自走」できるようにもっていく。だから、フードコンサルも店舗のプロデュースも、根っこでは同じことかもしれません。

甲田:
自走って、経営においても、地域づくりにおいても、キーワードですよね。

しっかりコミットした地域活動支援は、どこからだったんでしょう?

沼本:
はじめは、木山(きやま)ですね。

甲田:
真庭市落合の木山地区ですね。

沼本:
そうです。
木山寺の住職(高峰秀光住職)から。保育園からの同級生なんですけど、そこから相談があって、「将来のことを考えて、うちも何かアクションをしたい」みたいな話で。「じゃあ、一緒になんか考えましょうしょう」って。

そのまえから動きはあったんですけど、話を聞いていくなかで、「お寺の課題というよりも、ほんとの課題は、住職も言われていたように山ぜんたいじゃないかな」と思うようになって。
木山には、お寺だけじゃなくて、神社もあって。檀家と氏子が、けっこうかぶっているんです。だから神社も一緒に連携しないと、課題って解決しないんじゃないかと。
そういうことで、木山神社にも相談にうかがって、「山ぜんたいを保存する保存会を一緒につくっていただけませんか?」とお願いしました。

甲田:
木山郷土保存会ですね。
同会が運営する「門前カフェ さかや」のパンフレット写真が、すべてをものがたっているような気がします。

沼本:
木山寺の住職と、木山神社の権禰宜が、並んで珈琲をいれている写真ですね。

食以外で、なんていうんですかね、ひとつの箱づくり、組織づくり、ゼロからのスキームづくりみたいなことをさせてもらいました。

木山寺の高峰住職と木山神社の鈴木禰宜。木山郷土の関係性をよく表している一枚。

甲田:
ほかにも、落合の津田地区がありますよね。津田の廃校活用。

沼本:
津田については、もともと市内のどこかにセントラルキッチン(病院・介護施設などで出されるたくさんの料理を一手に引き受けるところ)があればいいな、と思って、当時の落合支局に相談にうかがったことがきっかけです。

いまは、デイサービスを中心にしていますが、津田はもう住民会のなかにも入らせてもらって、総会にも出ますし、事業も一緒にしていく。
そこではじめて、ほんとに地域住民というか、ビジネス上の付き合いじゃなくて、地域に住んでいる人たちとの直接的な触れあいが生まれました。

津田の地域課題は、若い世代が「外」へ出ていってしまうことでした。
跡継ぎもいなくて、これから過疎地域にどんどんなっていくっていうのが、もう自分たちでもわかっていて。
だから、たくさんお世話になった、少しでもの御恩がえしの想いで「自分たちのために、自分たちで楽しめる試み、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を一緒につくっていきませんか?」って。

甲田:
ひとりひとりに向けた、人生の充実感・幸福感ですね。

沼本:
そういうデイサービスを津田住民会の皆さんと一緒におこなっています。

甲田:
地域づくりのなかで、沼本さんはどういうポジションになるんですか?
たとえば、マネージャーとか、プロデューサーとか。

沼本:
プレイヤーですね。
つねに現場に立ちたいし、あんまり前に出過ぎるのはよくない、と思っているので。

 

 

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甲田:
地域づくりで、ネックに感じられるところは?

沼本:
お金ですね(笑)。

甲田:
(笑)、手伝ってくださる「人」はいかがでしょうか?

沼本:
関係人口づくりから、ですね。
小さな事業でもいいからなにかやって、好きになってもらって、関わってくれる人たちを仲間にしていって。ファンになってくれたら、また手伝いにきてくださることがあるので。

もしくは、「助けてください」って言います(笑)。正直に、「すみません、人手が足りないんです」って。

甲田:
そういうふうに素直に言えるのが、人間力だと思います。なかなか言えないですよ。

沼本:
あと、関わっている人たちの意識が、バチン!と変わる瞬間があるんです。
だれかに任せるのではなく、自分ごとになる、みたいな。たとえば、「自分が責任をとるから、どんどんやろうよ」って、そこからどんどん加速していく。
それがあるかないかで、ぜんぜんちがってくるんです。

 

【できることはできる。できないことはできないと本音で話し合う。】

甲田:
ここ(落合上田地区)の「UEDA VILLAGE」についてはいかがですか?

沼本:
もともと、打診があったんです。「引き受けてくれないか?」って。

甲田:
木山・津田での活動が、かなり周知されていたなかですね。

沼本:
どうでしょうか。
でも、上田に人の流れがあるのはわかっていて、何よりも本当に美しくて好きな場所だったので、「どうにかできんかな」とも思っていて。
でもまあ、それなら最低限、泊まれるようにすればいいかな、ぐらいしか考えていなかったんです。「廃校」って規模感も思っている以上に大きかったですし。簡易なロッジにすればいいかな、ぐらいしか。

でも、いざ打ち合わせになったとき、ある人に言われたんです。怒られたんです。「本気でやらないと、やる意味ないですよ」って。「お金も、時間も、つかうわけでしょ」って。
それで、腹が据わりました。「攻めていかないと」と考えが変わりました。

甲田:
自分ごとになったと?

沼本:
そうです。
それからもう、いろんな人に「助けてください」と言ってまわって。自己資金もかなり入れて、金融機関や投資家へ資金調達に走りまわって、最終的には限界いっぱいまで借金する規模になりました。

甲田:
(……限界いっぱいって。金額の規模が毎回、デカすぎる)
覚悟が決まったから、できたことですね。
「一般社団法人 地域支援機構サトビト」を設立されたのも、そのタイミングですか?

沼本:
そうです。いろんな流れのなかで、一社の立ち上げとなりました。
ちょうど旧上田小学校をリノベーションしている真っ最中。しかも、お金もない。私としては、「このタイミングはちょっと……」と思っていたんですけど(笑)。
でも、これだけの箱を、自分ひとりで運営するのは、無理とわかっていたので、「やっぱりどうせなら、このタイミングでいこう」と、「地域への想いを同じにする」仲間にお願いして参画していただいて、一社を立ち上げました。

甲田:
依頼されて、という点が大きいように思います。
依頼がある、すなわち「ニーズのあるところ」に、沼本さんたち、チームの役割がはまっていく。

沼本:
私たちも、なるべくニーズをくみたい、と思っていました。
地域の皆さんに「どういうふうにされたいですか?」というふうにうかがって。地域の皆さんが集まるところにも、説明をするため、くり返しくり返しうかがって。

甲田:
ほかに、意識していた点ってありますか?

沼本:
そうですね。遠慮しない、っていうことですかね。
手順はちゃんと踏むんですけど、基本的には、ちゃんとしたルールに基づいたうえで、「すみません、それはできません」とはっきり伝える。できることはできる。できないことはできないと本音で話し合う。

 

【求められているから、それに応えていく、というのをやっているだけなんです。】

甲田:
ここが、沼本さんの新しい拠点になるわけですが、これから「こうしていこう」みたいなのはありますか?

沼本:
カフェ・美容室・ゲストハウス。いまは、まだ最低限のハードをそろえた状態です。
つぎにソフトの部分を組み込んでいく。本来のゴールは、そこにあるので。だから、ブランディングをしながら、達成していきたいですね。

集落ぜんたいとしての目標もあって。
集落維持のために、関係人口、もしくは定住人口を集落の1%ぶん増やすっていうのを3年以内にやると。核家族を、1世帯ですね。

甲田:
藤山浩さんの『田園回帰1%戦略』ですね。

沼本:
いま、地域づくりをされている人たちは30年後にはたぶん、多くの方が動けなくなると思うんです。
そうしたら、その子どもたち、いま会社勤めをされている人たちが、つぎの世代になると思うんですけど、そのときにはもしかしたら、もう集落維持が困難な人口になっているかもしれない。

だからこそ、いまのうちから、関係人口として、「UEDA VILLAGE」でたくさんの人を受け入れられるようにしておきたい。
そのための魅力づくり・発信をしていきたい、と思っています。

甲田:
先進事例である、ということも含めて、可能性を秘めていると思います。

沼本:
最初に、やりたいことの限界を決めないほうがいいかな、と思っていて。
いまの時代、商圏ってもう世界ですよ。価値観とか常識だって、どんどん変わっていく。そのなかで、好きなことはあえて仕事にしない、というか、私は好きなことを仕事にしていないので。

甲田:
そうなんですか! てっきり、料理が好きなのかと。

沼本:
好きなのは、食べるほうなんですよね(笑)。

私は、求められているから、それに応えていく、というのをやっているだけなんです。
自己表現型じゃなくて、ニーズからやるタイプなんです。また、そっちのほうが、感謝のされ方が大きいのかなと。感謝されるから、やりがいも大きい。

甲田:
起業においても、地域支援においても、「ニーズから」がベースになっているんですね。

沼本:
いまの地域の「ニーズ」は、ひいては「集落維持」に関するものなので、自分が80歳になったとき、自分の住んでいる集落がまだ維持できているか、につながるんです。
子どもたちが、ここで「可能性」を感じながら、育ってほしい。
私たちの世代は「田舎には可能性がない」というふうに育てられた世代なんです。でも、いまはちょっとずつ変わってきていて、大学生とか「田舎が好き」と言ってくれたりする。

だから、田舎でもこれだけ都会と変わらない多様な仕事ができるんだ、と思ってもらいたいんです。

甲田:
沼本さんを見ていると、新しいリーダーのカタチが見えてくるようです。
今回はお忙しいなか、ありがとうございました。

沼本:
こちらこそ、ありがとうございました。

甲田:
「森ノナカノカフェ」で、この「吉備中央産猪肉ミートボールと季節野菜のトマトソース」のスパゲッティを食べて帰ろうと思います(笑)。

沼本:
(笑)、ごゆっくり。


じつは個人的に、イベント協力の依頼をしたことがあります。
日本でたぶん、初の漆(うるし)料理イベント「漆ヲ食ス会」。無理を承知で、沼本さんに料理をお願いしました。沼本さんの返事は、「いいですよ」。

沼本さんなら、きっと何とかしてくれる。
そう思わせてくれる、ふしぎな人間力。その理由が、今回のインタビューで、ちょっとでも伝わればな、と思います。

沼本さんは、ほんとにふしぎな人です。
静かなのに、熱くて。

取材中、山のうえにある「UEDA VILLAGE」には、ぞくぞくと人が訪れていました。市外からも、すぐ近くからも。もうすでに、真庭の新しい拠点になっています。

沼本さんは、「UEDA VILLAGE」にいます。

聞き手:甲田智之
写真:石原佑美